ささえる

高崎市上佐野町 キックボクシングジムで鍛える心

意外にもスポーツの盛んな高崎市。マラソンをはじめ多くのスポーツが盛り上がる中、一人の男が「音楽と格闘技の街・高崎」の野望を抱く。高崎市上佐野町のキックボクシングジム「BRAVE FIGHT CLUB」の田中将士(たなかまさし)さんが描く格闘技の未来とは。少年少女の心を支える格闘技について取材した。

2018.07.20

高崎市と格闘技

群馬県のスポーツ

意外にもスポーツの盛んな高崎市。

市民参加のヒルクライムからマラソンにはじまり、市内企業が強豪のハンドボールやオリンピックでのメダリスト輩出は市民の誉れである。高崎市としても「オリンピックムーブメント」を推進し、高崎アリーナをはじめとするスポーツ会場の整備や市民のボランティア活動が根付く街となりつつある。

しかし、日本の現状がそうであるように、野球やサッカーといった特定のスポーツ以外を気軽に行えるような場所は高崎市にも少ない。まだまだ、市民がうたうほどの「スポーツの街」には遠く、多くの競技――テニス、バスケットボール、ゴルフ、ダンスなど――が時流に乗るべくあつい活動をしていることだろう。

群馬の闘将

高崎市のスポーツ界は“混戦”状態。「高崎市といえば」と挙げられるスポーツは一つに決めがたいと言える状況だ。その中で、今回は鮮やかな右ストレートが自慢のキックボクサーに話を聞くことができた。高崎市上佐野町のキックボクシングジム『BRAVE FIGHT CLUB』のオーナーであり会長を務める田中将士(たなかまさし)さんである。

キックボクシングとは、その名の通り「ボクシング」に「キック」がプラスされた格闘技。言葉の上では造作もないことだが、ボクシングが「手だけ」を使うのに対し「手、あし、膝、ひじ」と全身を使った格闘技となる。

初代TRIBELATEフェザー級チャンピオンであり現役のプロキックボクサーである田中さんは「音楽と格闘技の街・高崎市」という野望を持つ闘将。父親のように育ててくれた会長の想いを受け継ぎ、田中さんが目指すジムづくりとは何だろうか。少年少女の心を鍛えるキックボクシングについて、熱い想いを語ってもらおう。

チャンピオンのいるジム…と聞いてビビりながらも取材に乗り込むことになりました!

格闘技のジム、一体どんなところなんでしょうか。

TRIBELATEとは

『格闘技』『音楽』『映像』の融合をテーマとし、魅せる空間演出が特徴の大会。
本格的な戦いからお笑い要素を取り入れたバトルなど、幅広い演出で格闘技ファンを増やしている。

勇気のみち

格闘技のイメージ

激しくぶつかる肉体、相手を圧倒する気迫の眼力、強く固く繰り出される拳。

おおよそ、格闘技といわれて想像するのは“怖そう”なイメージではないだろうか。しかしながら、格闘技が教えてくれる”もっとも大切なこと”はそうしたイメージからは程遠い…と取材を終えて振り返る。

午後7時、今日も田中さんのジムには馴染みの会員が顔を出し始める時間帯だ。一番多いのは会社員の30代から40代だが、中には渋川市から通う中学生もいるそうだ。男女ともに身体を動かし、楽しみながら運動する姿はまるで“大人の部活動”。仕事で溜まったストレスも身体を動かせばすっきりした気分に、ダイエットもはかどり一石二鳥だ。

ジムにつけられた名前には『BRAVE 』の文字。名前に込めたのは、会員への感謝の気持ちだった。
「格闘技やジムって見えない壁があると思うんです。一歩踏み出す勇気を持ってくれた人たちが遊ぶための場所…それが、この『BRAVE FIGHT CLUB』なんです。」

「この記事を読んで、格闘技への印象を変えて欲しい。決して、皆さんが思っているのとは違うと思いますよ。」

田中さんがキックボクシングを始めたのは16歳の時。

あなたの中の格闘技のイメージはどんなものだろうか?格闘家にどんな印象を持つだろうか?

彼のキックボクシング人生を追いかけながら、考えてみて欲しい。

実際に田中さんに会ってみると…和みます。

優しい顔の会長には、格闘家の秘密が隠されているとか!ささ、読んでみてくださいませ。

ブレイブストーリー

「始めたころは挫折だらけの弱い少年でした。身長もちっちゃくて。」

16歳、仲の良かった友達とは離れた高校へ進学した田中さん。地元沼田市から中之条へと通う日々。家から遠いこともあり、学校での部活動には参加することができなかった。

「テニスをやっていたんですけど、朝練夜練があったので…何かしようかなと思ったときにボクシングを始めました。きっかけは『はじめの一歩』と憧れの選手がいたから。強くなりたかったんです。」

強く、なりたい。16歳の少年はどんな気持ちでその言葉を言っただろう。

沼田市内にはボクシングのジムはなく、「あんまり変わらないかな」という気持ちで「上州松井キックボクシングジム」へと入会した。昔ながらの雰囲気、汗の匂いで蒸した男の世界。のちに「親父」と慕うことになる会長は、高校生の田中さんにとって怖い存在だったという。

「今はだいぶ変わりましたけど、昔のジムは昭和の雰囲気、漫画の世界って感じでした。高校生の自分は162㎝くらい…まだ伸びたい盛りで、鍛える目的もあって入ったんです。」

「始めてから一年、だいぶ蹴れるようになったかなと思ったのはそのくらいです。それでも会長とのスパーリングは本当につらかった。脛につけるパッドを装着して本番さながらに打ち合う練習なんですが、毎回ぼこぼこにされていました。」

上州松井ジムの会長 松井さんは元フライ級の日本一位。キックボクシング創成期、昭和時代を生き抜いてきたボクサーだ。まだ40代の松井さん相手に高校生が太刀打ちできるわけがない。それでも、回数を重ねていくことで自身の強さを身につけていった。

勇気のプロ

その後、自己管理を目的に栄養学を学ぶ専門学校へ進んだ田中さん。彼の戦うフェザー級の重量制限は57.15キロ。わずか10gがリングへの道を閉ざすこともあるシビアな世界。すなわち、食べ盛りの高校生だった田中さんにとって、栄養学を学ぶことは生きることだった。「うまくやれば、こう痩せていくのか。」栄養士の資格を取り、キックボクシングを続けた。

「熱中してやっていたか、と言われるとそうでもないと思います。でも、プロに憧れがあって。プロのライセンスを取るための試験には4回目で合格しました。19歳の時です。」

「プロになってからも、挫折が多かったです。(プロテストに受かって)はしゃいで臨んだデビュー戦は判定負け、二試合目はKO負け。で、三試合目でやっと勝てたというか。悔しかった。」

挫折だらけの弱い少年、決してそれは捨てた過去ではない。努力を重ねて強くなった少年が、今の田中さんなのだ。キックボクシングと出会ったことで、なりたい自分を叶えるBraverとなってゆく。

高校時代は早弁してお昼も食べて…それでもおなかが空いていた記憶があります。

それにしても、グラム単位でのダイエットとは驚きです!

リングのうえ

拳が響く1秒前の世界

「スローモーションに見えることってありますか」と訊ねてみた。よく聞く言い回しではあるが、果たしてプロの世界に存在するものなのか。

「あります、ありますよ。ゾーンって呼んでいます。集中しすぎると、周りの音が聞こえなくなってゆっくりと…その時は秒殺KO勝ちをしたんですが、不思議でしたね。」

田中さんが語る、拳と拳、キックとキックの世界。知りうることのできない試合の様子を教えてくれた。

「今もはっきり覚えているんですが、斎藤選手と戦ったときの試合でした。自分が勝てばランキングに、というボーダーが見えていた時だったんです。」

名前が呼ばれる。サイドから一歩、また一歩とライトで焼かれそうなリングへと向かう。すでに歓声は遠く感じるような、今までにない不思議な状態だった。相手は強い。埼玉の強豪ジム出身の斎藤選手は赤コーナー。青コーナーの自分よりも格上だ。リングに入り、お互いが視線で会話をする。セコンドの声だけが、やけにはっきりと聞こえた。「緊張せずに自分らしく。いつも通りの動きをしろよ。」いつもの声だけが、耳にこだました。

「そこからは、あっという間でした。チームメイトに送り出されてから20秒でダウンを取り、30秒くらいで勝利。結果、レフリーストップで試合は終わりました。本当に、不思議な経験でした。」

「ただ、1分にも満たないこの試合は、その日のために費やした2か月があることは確かです。」

勝利の瞬間

集中した選手の様子が、客の熱気が、伝わっただろうか。
もちろん、試合の様子は様々。独特の巻き舌でノリノリの紹介をする司会、紙テープが飛ぶ客席もあれば、リングの死闘を必死に見守る客の姿もある。カンと鳴ったゴングで始まり、重いパンチ一つで決着することもあれば、判定待ちの長丁場となる試合もある。

「キックボクシングの一番好きな時は、対戦相手に勝った瞬間、勝つ瞬間です。もちろん、リングに一人残るわけですから、勝敗がはっきりわかるというのも嬉しいですが…勝ったことで喜ぶ周りの人たちを見るのが何より好きです。」

キックボクシングのリングから客席までは、野球やサッカーよりもぐっと近い。すこし高くなったリングに上がれば、不安そうな顔も期待している顔もすべてわかる。だからこそ、勝ちにこだわる。強くなる。見ていた観客は、たとえ自分のことを知らなくても笑顔になる。なぜ、田中さんが格闘技を広めていきたいのか。その核心に迫るのはここからだ。

「リングの中で生き残るには自分を信じるしかないんです。極限の中で出た行動が、自分の本性、本質だとおもうので。」と田中さん。

実はこの試合、ジムの設立が賭かっていたとか。真剣勝負の場所で決める会長、さすがです。

ファイト、みんなと共に

格闘技が教える“もっとも大切なこと”

そして現在、33歳になった田中さんは2017年にキックボクシングジム「BRAVE FIGHT CLUB」をオープンした。モットーは「キックボクシングを楽しむこと」。あの頃のように、皆で努力し強くなる…それは変わらない。しかし、女性も入りやすい綺麗なジムの様子や会員間のコミュニケーションが取れるようなレクリエーション風のトレーニングは「つらい」「厳しい」といった格闘技のイメージを一新してくれる。そこには、伝えたい想いがあったから。

「格闘技って、マイナスなイメージが強いと思ってまして…痛いとか、乱暴とか。楽しさが世間には浸透しづらいのかなと。東京では今、キックボクシングは全身を使ったスポーツとして流行っていますが、群馬県ではまだまだ。新しいイメージで広めていきたいと思っています。」

「ゴール…というわけではないですけど、将来的には小中学校や幼稚園なんかで格闘技をやれたらいいなと思っています。柔道や剣道のように、スポーツの一つとして。ジムに来れば幅広い年代の方と一緒になって活動できますし、いじめ問題なんかにもアプローチできると思っています。」

田中さんが描く格闘技の未来は、少年少女の心を支える格闘技。強い心を育てるスポーツとして広めていきたいという。

「プロの目線から言うと、格闘技にとって一番大事なことって気持ちなんです。負けないぞという。それって、(生きていく上で)すごく大事なことだと思います。」

田中さんがキックボクシングの世界に入ることとなったきっかけ『はじめの一歩』も、いじめられっこがボクシングとであうことで強く成長していくストーリーだった。積み重ねた練習、筋肉として現れる成長の実感、何よりリングでの惜しみない歓声は自分を認めてくれる機会となる。多感な時期の少年少女にとって、心の問題を解決する一つのきっかけになるだろう。

会長の教え

それでも、格闘技のイメージから「乱暴な子になるのでは」と不安を抱く人もいるのではないか。いじめっ子も、いじめられっ子も、等しくその心は弱くアンバランスだ。手に入れた強さを正しく扱えるのか。田中さんは、昔の自分を思い出しながらこう話す。

「この世界に入って感じたことは、格闘技で強い人は皆優しいってことです。力が強くて筋肉が付くほど優しくなる。自分が強いって自信があるから、心に余裕がある人ばかりなんです。心がマイナスな方向へ行かないように、ジムでの練習が支えてくれる…それこそが、会長(田中さん)の仕事なんです。本来の部活動の形に近いのかもしれませんね。」

自身が高校生の時にも、会長に先輩に、多くの強い大人に支えてもらった。驕ることなく高みを目指すその背中に、あこがれた。勝負の世界、強さがはっきりとわかる世界だからこそ、教えてくれるものは大きかった。怖くて逃げたパンチも、リングの上では生き残るための武器に変わった。

高崎市上佐野町。そこにある始まったばかりの小さなジムが目指す先は、子供たちを支え、伸ばし、大人と交流が生まれる“部活動”としての居場所。このジムにあるのは“強さ”であり、“優しさ”だ。それは時にリングに上がる勇気を与え、友を守り大切にすることを教えてくれる。

今、あの時の弱かった少年は、心の強いプロとして前線で戦っている。次の時代を生き抜く子供たちに、生きる力を与えるために。

 

BRAVE FIGHT CLUB

住所:群馬県高崎市上佐野町330-1
電話:027-395-0039
営業時間:平日…15時~22時、土日祝…13時~18時
定休日:毎週月曜日、他(FB等で発信)

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この記事に関連するメンバー

西 涼子

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群馬県でフリーのライターをしている西(編集長)です!
地域を盛り上げる力は市民から!ということで、
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