高崎市上並榎町 『ぐんまのお皿』開発のうつわ屋が魅せる、このまちの”暮らしの風景”
高崎市上並榎町のうつわ屋『株式会社 三美堂』。4代目を務める"うつわ演出家"の吉村さんにお話を伺った。いつの時代も、うつわに彩られてきた町の風景。うつわ/和食器の持つ豊かさと、未来の高崎の暮らしについて熱い想いを語っていただいた。
2019.06.21
暮らしとうつわ
うつわのある暮らし
茶碗、椀、箸、丼、茶器。日々の暮らしの中で手に取り/目にする機会の多い“うつわ”を思い浮かべてみる。食器は私たちの日常に欠かせない日用品であるが、そのうつわに秘められた伝統やうつわの魅力を意識して生活することは少ないのではないだろうか。先に挙げたカテゴリー、「和食器」に限っても「美濃焼」や「六古窯」 「有田焼」など、平安時代から安土桃山時代、そして江戸時代にかけ独自の発展を遂げた歴史をもっている。バラエティー豊かな食器たちは人知れず暮らしの風景を彩ってきた。
“商いのまち、高崎”と呼ばれたわが町は、いつの時代の暮らしにも“うつわのある風景”があったことだろう。昔のまちなみをうつした写真を見れば漆器店の軒先に並べられたうつわがあり、今もあたりを見回せば飲食店に、各家庭の食卓の上に様々な食器が並べられている。“まちと共に、食と共に”――うつわ×暮らしの魅力を探ってみるとする。
株式会社三美堂
今回紹介するのは、高崎市を中心に業務用食器の卸売を行う『株式会社三美堂』の四代目・吉村聡(よしむらさとし)さん。うつわ――特に、和食器の面白さに目を付け、和食器の多様性と“うつわのある暮らし”の面白さを伝える”うつわ演出家”である。地域ネタが人気を呼んだ漫画『お前はまだグンマを知らない(作:井田ヒロト)』でも取り上げられた『ぐんまのお皿』は、吉村さんの代表企画と言える一品。ずしりと重い“リアルな群馬型”のお皿には、これまでのうつわたちとは違った暮らしの彩り方――吉村さんが模索する“新たな食器の可能性”を感じることができるだろう。
このまちの暮らしを、うつわでどう彩るか。高崎で暮らす”うつわ演出家”に話を聞いてみた。
関東ローム層の上でうつわへの愛を叫ぶ――そんな『高崎で暮らす』の記事が始まりました。かく言う編集長も、“お気に入りのお皿”を愛用するタイプ。料理にとって“美味しさのスパイス”となるうつわの魅力に迫ります!
このまちのうつわと共に
4代目のあゆみ
高崎市上並榎町。陶磁器、硝子器、漆器に囲まれた事務所にて『株式会社三美堂』四代目の吉村さんにお話を伺った。机の上には、色とりどりの食器や試作品の数々が並べられている。「試行錯誤中で……散らかっていますけど」と話し始めた吉村さんの今までと、うつわ業界へ進んだきっかけについて聞いてみた。
「小さい頃から“うつわ屋”になりたかったというわけじゃないんです。小学校の卒業文集に書いた夢は『ペットショップの店長』でした。今も昔も自然や生き物が大好きで……上並榎町には田んぼや空き地がたくさんあったので、虫や魚を取って遊んでいましたね。大学も海洋生物の学科に進み、今でも里山整備のボランティアや県内各地の小学校でのフォレストリースクールで子供達に環境教育の指導を行ったりしています。それから、音楽も好きだったので……学校を卒業後には“反骨精神剝き出し”のバンド活動をしたり、心機一転医療用医薬品の営業職に就いたり。うつわ屋になるまで、紆余曲折ありました」
「当社は法人に対して食器を卸す仕事をしています。『食器』という業界も『卸し』という業態も衰退していて、普段使う食器は海外からの輸入品やホームセンター・ネット通販の食器だという人も多いんじゃないでしょうか。“うつわ屋”で育った僕は――今考えると、小さい頃から良いうつわに囲まれて育ててもらったんだと思います。好きな道を歩む自分を育ててくれた親やうつわに関わる人たちに恩返しをしたい、むちゃばかりしていた自分も社会貢献をしたいと考えるようになり、サラリーマンとしての社会経験を経た後に、家業を支えることを決めました。業界に入って4年目、父が代表を務めているうちに色々挑戦させてもらっています」
少し照れくさそうにしながら、過去の自分について話をしてくれた吉村さん。自身の歩みを振り返った時の「感謝の気持ち」が、幼いころから身近にあったうつわの魅力が、食器業界に入る吉村さんの背を押した。好きなものへ全力投球のスタイルは“うつわ”を愛する仕事の時にも変わらない。創業者である祖父や、2代目を務めた叔父、3代目であるお父さんの背中を追いかけながら、独自の視点でうつわの新たな在り方を模索し続けている。
「過去の自分の話は恥ずかしくて、あまり人に言わずにいたんですが……最近思うのは『過去の自分の体験は今に通じている』ということなんです。自然の中で遊んでいた自分の体験も、7弦ギターを弾いていた頃の自分の想いも、美術部で木工をしていた時の経験も、山岳部での登山の経験も。全て役に立っているなぁと今、感じています」
机に置かれた“試行錯誤の品々”をよく見ると、「木材と器を組み合わせたインテリア」や「群馬の豊かな自然をモチーフにしたうつわ」が見て取れる。果敢に挑戦し続ける姿、既存の枠を打ち破りたいという想いは昔から変わらない”反骨精神”か。剛柔備えたうつわ屋の4代目と”うつわ”の挑戦は、まだ、始まったばかりである。
ぐんまのお皿
それではさっそく、吉村さんが演出するうつわについて紹介しよう。今回は私たちにとって身近な個人向けの食器シリーズ『toool』をメインに紹介したい。先に登場した『ぐんまのお皿』に加え、『ぐんまの箸おき』など「つる舞う形の群馬県」をモチーフにつくられた食器たちの名称だ。群馬県の県西・県北地域につらなる山々の盛り上がりや、南東部に広がる関東平野をそのままうつわの形に表現することで「地産地消や地域の食をPRする場で活躍してほしい」と吉村さん。彼が“群馬型”のお皿に込めたメッセージ、その先の未来について話を伺った。
「『ぐんまのお皿』は、初の『個人向け商品』として開発企画した“群馬型”のうつわです。『地元・群馬県に産地・産業としてのうつわが根付いていない中、伝統産業としての和食器と日々向き合っている自分に何ができるだろう?』と考えた時に、『うつわの力で地産地消・地元食のPRに役立てるんじゃないか』と思いついたのが始まりでした。うつわと食事から伝わる群馬の魅力や想いは、言葉を必要としません。海外で行われた『GUNMA SUKIYAKI 輸出推進プロジェクト』でも使っていただいたように、お皿と食材がメッセージを伝える役割を果たしてくれると思っています」
「それから“群馬型”という奇抜なお皿をつくることで、群馬県外で暮らす“群馬県に関わりのある人”を『関係人口』として改めて手繰り寄せられるんじゃないかということも考えました。『つる舞う形の群馬県』――僕も『上毛かるた』で刷り込まれて育っていますから、(『上毛かるた』を、群馬県を)知っている人たちが応援してくれるんじゃないかと思ったんです。群馬を1枚のお皿にすることで、『群馬一枚岩』として繋がれる人やまちがあるんじゃないか……食材も文化もいいものがたくさんあるまちだけに『組み合わせによって新しい可能性が見つかるんじゃないか』という期待を込めています」
吉村さんが話すように、『ぐんまのお皿』は、その形の独特さや県の形をモチーフにするというニッチさからSNSで話題となった。群馬県内で暮らす人、群馬県出身者、はたまた群馬にご縁のなかった人まで様々な人を繋ぐきっかけをつくったのだ。吉村さんが語る「群馬のお皿がまちや人を1つにする」未来。それはまさに「上毛かるた」の「つ」の札に描かれた“未来に向けて羽ばたく鶴”のように、このまちから発信された地元愛なのである。
『ぐんまのお皿』に料理を盛ると、自然と「(鶴の)首元にある野菜が美味しいよ」「高崎の上にハムが乗ってるね」なんて会話になるのが群馬県民。“普段は意識していないゆるいつながり”をカタチにしてくれる、そんなうつわもアリですよね
繋がり、めぐるもの
うつわに関わる人たちへ
それでは、うつわを愛する吉村さんに「うつわが彩る暮らしの面白さ」について聞いてみたい。うつわ屋の4代目が本気で語る、このまちの暮らしとうつわ。特に私たちの日常でなくてはならない「食」と合わせて、その魅力について語っていただいた。
「うつわ、って当たり前にあるんですよね。誰もが人生の中で1度は接しているし、見ない日はないかもしれない。だからこそ“見えていない部分”があると思うんですよ」
「それは良いところも悪いところも――製作工程の多さや、難しさ、うつわ(産業)の産地の後継者問題だったり、365日使うものだからこそ“暮らしを変えられる可能性がある”ということだったりすると思います。僕はうつわ屋として『うつわが持っているけど、意識されていない可能性』を掘り起こしていくことを仕事にしたいと思っています。『こんな使い方がありますよ』『こんな魅力のうつわがありますよ』『こんな人たちが、関わっているんですよ』……輸入品のうつわが主流となっていても、多くの人にうつわの面白さを知ってもらうことで飲食店など食に関わる人たちの“うつわへの意識”を上げることができるんじゃないでしょうか。そうした繋がりが、ゆくゆくは産地へ、国内のうつわにかかわる人たちへの恩返しに繋がってほしいです」
「だからこそ、皆さんにお伝えしたいのは『暮らしの中で、うつわを見て欲しい』ということです。特に和食器にはさまざまな種類――大きさや色・形だけでなく、作り手の技法や素材、原料、釉薬や絵付けなどの表現方法など――伝統の中で受け継がれてきた地域色を見て取れます。個人作のうつわ、ハンドメイド品の人気も高まっていますが、地域が育んできたうつわの在り方も見て欲しい。今は群馬には産業(陶業)としてのうつわはないんですが、温泉地もありますし、色んなうつわがみられる機会はあると思いますよ」
吉村さんが“演出”するのは、多種多様なうつわの組み合わせで表現される“面白さ”だ。体当たりの営業姿勢で“うつわ×○○”のコラボレーションを実現し、うつわの新たな価値を作り出している。実際に、高崎のまちでフォトジェニックなパフェが人気を集めている洋菓子店『菓子工房モミの木』とのコラボレーションでは、和食器である『ぐんまのお皿』を受け皿としたガラスのグラスパフェが提供された。洋菓子と和食器、グラスと和食器。今までにあった組み合わせも、このまちオリジナルの新たなコラボレーションとして価値を創造したといえるだろう。個性あるこのまちの形を模した『ぐんまのお皿』――一見使いづらそうな和食器は、手に取ると「あなたはどう使いますか?」と問いかける力を持っている。
このまちで暮らす人たちへ
最後に吉村さんが語るのは「このまちで頑張る若い人に伝えたい想い」。自らが先頭に立ち、様々な挑戦をし続けている彼だからこその気付きを次世代へと伝えていきたいという。ヒントを与えてくれたのは、幼いころから慣れ親しんできた“自然”。動植物の生きる姿、このまちの環境の中で脈々と受け継がれていく命の在り方から学んだことを教えてくれた。
「自然の中で活動しているときに強く感じることは、自然の偉大さですね。草を動物が食べて、動物の死骸が養分になって、また植物が芽生える……当たり前にあって、何一つ無駄にならない“循環”の構造に感動します。そして、その良いサイクルは仕事にも活かせると思うんです」
吉村さんが語るのは、このまちの中に息づく“循環”の話。親世代から子世代へ、バトンを繋ぐように育み/成長する繋がりを感じた彼は、「与えてもらった自分」から「与える自分」になりたいと話をしてくれた。
「私自身うつわのことが好きなのはもちろんなのですが、家業がうつわ屋であるということ、うつわ屋を生業として育ってきたこと、その“循環”の中で次は自分が“還元”する立場になりたいと思います。ネームバリューもほとんど無い家族経営の零細企業ですが、『三美堂だからこそできること』や『私だからこそできること』にうつわの可能性を掛け合わせ、社会の潜在的なニーズに応じたうつわの提供・演出をしていきたいですね。そしてもちろん、デフレスパイラルで疲弊してしまった中小零細企業や、後継者・事業承継問題を抱えている企業、そしてこれからの働き方に悩みを抱える若い人達へ! 希望を与えられるような動き方、価値づくりをしていけるよう頑張っていきたいと思います」
このうつわの上で、どんな未来が作れるだろうか。このまちの中で、どんな働き方ができるだろうか。
若き4代目の“今、ここ”での可能性を追求し続けていく姿に続いて、私たちも走り出そう。より美しい、このまちの風景のために。
株式会社 三美堂
住所:〒370-0801 群馬県高崎市上並榎町120
電話:027-362-7167
定休日:土日
この記事に関連するメンバー
西 涼子
どうも、こんにちは!
群馬県でフリーのライターをしている西(編集長)です!
地域を盛り上げる力は市民から!ということで、
イチ高崎市民の目線から、高崎市の魅力を発信しています。
--
文章や写真・デザインに関するお仕事を受け付けております。
当サイトのお問い合わせや、下記SNSアカウントまで
お気軽にお問い合わせください!
Twitter:nishi002400
Instagram:ni.shi.0024
この記事が気になったら
いいね!
「暮らし方のセレクトショップ」をテーマに"高崎でくらす"