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高崎市鞘町 “街と暮らし”を考える 商店街と神輿がつなぐ地域の絆

高崎中部名店街の理事長である友光さんへインタビュー。鞘町のお神輿団体『鞘町神輿 高崎右京會』の主催や商店街イベントの企画・運営サポートなどを行う彼に、“街と暮らし”を考えるヒントをお聞きした。未来の高崎の姿をイメージしながら、地域の在り方を考えてみよう

2019.11.08

高崎市と街なか

青空と緑が眩しい「さやもーる」の風景 奥に見えるのは「中央銀座」です!

高崎市と商店街

商人の街、高崎市。古くより“商都”として栄えてきたこの街の雰囲気は、現在の街なみにも色濃く反映されている。特に“街なか”と呼ばれる高崎駅周辺地域には個性的な店舗が多く立ち並び、商店街の数もJR高崎駅西口方面だけで20以上の数を持つ。特色ある通りごとの景色・個性的な店舗たちが、街の歴史・風土を伝えている。

こうした“商店街・街なか”の風景は、全国的に衰退傾向にあるようだ。「郊外の発展」や「若い世代の減少」「商店主の高齢化による空き店舗の増加」……高崎市の“商店街・街なか”も同様の問題を抱えている。かつての活気・賑わいが時代の流れと共に失われていく中、10年先、20年先の未来はどうなっているのだろうか。今、“街と暮らし”について考えてみたい。

 

優しい笑顔と快活なしゃべりで取材に答えてくれた友光さん。さやもーるを中心に、高崎の街について伺いました

高崎中部名店街-『有限会社 武蔵屋』

今回取材をお願いしたのは、高崎中部名店街の理事長である『有限会社 武蔵屋』の代表・友光勇一(ともみつゆういち)さん。高崎商店街連盟の代表幹事も務める彼は、本業であるインテリア業務の他に数多くの地域活動――鞘町のお神輿団体『鞘町神輿 高崎右京會』の主催や商店街イベントの企画・運営サポートなどを行っている。

「商店街に生まれ、商店街で育った」という友光さんのインタビューには“街と暮らし”を考える上での様々なヒントが隠されているだろう。私たちの街・高崎の歩みを振り返りながら、未来の“街なか”をイメージしてみよう。

歩くことが大好きな編集長イチオシの小路「さやもーる」。夏にはマイナスイオン溢れるミストが設置されており、涼しく楽しく通りを歩くこともできますよ♪

記事と合わせての街なか散策、ぜひ挑戦してみてくださいね!

さやもーる

本記事には多くのイベントのお話が登場しますが…こちらは「市民が力を合わせてつくる“長~いロールケーキ”」のイベント写真。100m以上の長さはギネス記録に載ったそうです!(すごい)

記憶に残る街

高崎駅から徒歩10分、高崎市鞘町の『有限会社 武蔵屋』へとやってきた。事務所のある通りは『さやもーる』と呼ばれる小路で、『さくらばし通り』と『大手通り』を合わせて『高崎中部名店街』と呼ばれている。幼い頃からこの商店街で育ったという友光さんに、街との歩みについて伺った。

「『さやもーる』を中心に、3つの通りをH型に合わせた商店街。それが我々の『高崎中部名店街』です。うちは昔からこの場所で商売をしていまして、僕は家具屋の息子として育ちました。幼い頃は病弱な子でしたが、地元を離れた大学時代にはテニスやスキーで遊んでばかりの“遊び人”に。街に帰ってきてからも『青年経営者研究会(現・高崎市青年商業者研究会)』や『商店街青年部』に入って、遊ぶに事欠きませんでした」

20代の頃から40年間、街なかで活動を続けてきたという友光さん。数多くの先輩や同士と共に、『高崎まつり』や『高崎えびす講市』『街なか成人式』などに携わってきたと話す。中でも『さやもーる』で企画されるイベントには、“記憶に残る街”というスローガンがあるのだそう。イベントにかける想いを伺ってみた。

「『さやもーる』を森に見立てて、子供たちがカブトムシを捕まえるイベント『高かぶ』。この企画のきっかけをつくってくれた子供たちの言葉が、“記憶に残る街”というタイトルに繋がっています」

「もともと『さやもーる』にはカブトムシが大好きな電気屋さんがいて、飼っていたカブトムシを子供たちに譲ってくれたことがありました。当時幼稚園生だった子供たちは大喜びで、中学生になって制服を買いに『さやもーる』へ来た時にも『この通りは僕たちが小さい時にカブトムシをもらった、思い入れのある場所なんだ』と話してくれたんです」

「僕たちはそれが、嬉しくて! 子供たちに喜んでもらえるような、“思い出をつくれるイベント”を企画するようになりました。『高かぶ』は毎年人気で『高崎の街なかでカブトムシが取れる』面白さや、同時に開催されている『虫プロレス』を楽しみに多くの親子が来てくれますよ」

 

大人気のイベント『高かぶ』には、カブトムシが好きなことで有名な哀川翔さんが来てくれたこともあったそう。商店街でカブトムシを集めきらなかったときに『しょうがねえ、俺が持って来てやるよ』とカブトムシを1000匹もって来てくれたとか……カッコイイですねっ!

こちらは『鞘町神輿 高崎右京會』の特製カレンダー。「9月はじまり、8月終わりになってんだよ~」という超特別・お祭り仕様なのです…!

お神輿と絆

「生まれ育った街を思い返す時、高崎に立ち寄った時のことを思い出す時……商店街での楽しい思い出があってほしい」

そのような想いで数々のイベントに企画・運営・参加してきた友光さん。続いて、高崎の“街なか”で開催されるイベント『高崎祭り』で40年間情熱を注いでいるお神輿の活動についてもお話を伺ってみた。ふるさとを想うお祭りの中で立ち上げた『鞘町神輿 高崎右京會』。お神輿を通じて地域の輪が広がっている。

「商店街での活動を始めて、お祭りに関わるようになって。鞘町には“こども神輿”しかなかったことを『寂しいな』と思うようになりました。そこで立ち上げたのが“おとな神輿”を担ぐ会である『鞘町神輿 高崎右京會』。“大人が最低50人いないと担げないお神輿を買おう”と町内で決め、同級生や商店街の皆を巻き込みながら始めました。今年で40周年、仲間は230人ほどに増えて、町外・県外から参加してくれるメンバーもいます」

高崎市内でも1位2位を争う老舗の神輿団体『鞘町神輿 高崎右京會』。「粋で日本一かっこ良く」をテーマに、『高崎祭り・高崎えびす講市神輿渡御』他、『三社祭り』や各地での神輿場でも担ぎ手として活躍しているという。お神輿を担ぐメンバーは「気の良い楽しいことが好きな人たち」ばかり。“街なか”に根差した地域団体として、イベント運営も積極的に手伝ってくれる仲間たちだと紹介してくれた。

「僕たちが研究・練習しているのは“魅せる担ぎ方”。お神輿を担ぐ方ばかりでなく『見ている人にも楽しく・感動してもらえる担ぎ方をしたい』という想いで月1回の練習を重ねています。『鞘町のお神輿は、担ぎ方がエレガントだ』と言われますし、お神輿を担ぐとき以外も“品よく好かれる振る舞い”に気を付けています。……鞘町でお神輿を担ぐには、町内のおばちゃんたちに嫌われないようにしないといけませんから」

「『ふるさとをもっと楽しもう!』というお祭りがきっかけにできた『鞘町神輿 高崎右京會』。僕は“こども神輿”で育って、“おとな神輿”を担ぎながら、ふるさと・高崎への想い――みんなが楽しめる街でありたい、孫・子のためにいい街でありたいと思うようになりました。担ぎ手の高齢化で大変なところもあるので、ぜひ若い人にも参加してもらえれば嬉しいです。楽しんでもらえればと思います」

地域の行事や町内での共同作業といった「昔は当たり前にあったもの」が、なくなっていく今。鞘町の“お神輿”は、地域の人々を繋ぐ絆となっている。

鞘町の町名は「刀の鞘師」がいたことを由来としておりますが、右京會の由来も「高崎藩主の刀装・右京柄」からだとお聞きしましたよ~(詳しくは「鞘町稲荷」の近く、看板をご覧あれ!)

未来の街

「弱ったな、いいまちが作れてれば良いこと言えるんだけどな」と友光さん。飾らないまっすぐな言葉だからこそ、皆さんの心に届くものがあるはずです

街で暮らす

地域活動の拠点として、そして何より生まれ育った街として“街なか”に思い入れがあるという友光さん。イベントやお祭りといった“非日常”のウラ側、街での“日常”で思うことについて聞いてみた。

「街づくりやイベントに対して、僕たちは『逃げられない』というのが実際なのかもしれません……『しばらく“街なか”に行かなくてもいいかな』とは、なりませんから。“まちっこ”に生まれた僕は、ふと気づいたら(地域活動を)色々やって・やらされていて、経験を積む中で高崎のことを好きになって。暮らしている・暮らしていたまちだから、どうにかしたいなと思っています」

「今の商店街に至らないところは多々ありますよね。昔の賑わいや人情もそうだし、百貨店が閉まるとスーパーもないので『買い物難民』になってしまって……“街なかだけど、交通弱者に不便な所”だと言われます。(百貨店で)買い物できる時間に仕事から帰ってくる人ばかりじゃなくなった、というのも理由の一つでしょうか」

少子高齢化・ライフスタイルの変化によって、“街と暮らし”の在り方が変わってきている――友光さんが見せてくれたのは、40年前の『鞘町神輿 高崎右京會』の会誌。寄付者名に書かれた89名のメンバーは、現在10名前後まで減ってしまったという。友光さん自身も暮らしの拠点を町外に置きながら、“街なか”での活動を続けているそうだ。私たちの街や地域を未来へつなげていくためには、大きな改革が必要なのかもしれない。

「街には色んな人と繋がれる良さがあるんですよ。『お互い様でしょ』と声を掛け合ったり、地域の方々が良い関係で付き合っている状態がある。『この町内は、生きているな』と実感する瞬間がありますね。子供たちも、街で育つとやんちゃはしても、悪さはしない子になる。僕もそうでしたが、知っている人が皆見ていてくれて・声をかけてくれて……『あなたのこと、知っているよ』っていう存在がいるだけでね。今は、登校する子供たちに(防犯上)挨拶もできない世の中だけど、街ならではの良さを活かせるように、改善していきたいと思っています」

友光さんが語る「街なかの話」は、近い将来「どの地域にも当てはまる話」になっていくだろう。地域の中に“人と人とのつながり”や“地域に密着した暮らし”がないことは「交通弱者が暮らしにくい街」「子育てしづらい街」「暮らしが楽しくない街」へと繋がっていく。

『高崎で暮らす』ことを、真剣に考えてみる――多くの市民の力が、必要だ。

 

「さやもーる」が一望できる、打ち合わせスペース。地域の人々の顔が見える特等席からは、鞘町の温かなコミュニティを感じます……!!

街と関わる

最後に、友光さんが考える『高崎の街と暮らす』ことについてお話を伺ってみた。“商店街・街なか”は、これからどのように変化していくのだろうか。私たちができることには、何があるのだろうか。

「街は色んな人と繋がっていて、僕はそのおかげで素晴らしい先輩に恵まれました。商店街活動の原点となった僕のお師匠さんは、当時青年部長をやっていた僕に『(当時 一番人気の)ジャイアンツの長嶋は3割打者で、10回振れば3回当たる。お前もさ、思いっきり10回振れば、3回くらい当たるんじゃないか?   7回は俺が責任取るから、やってみろよ』と言ってくれて。ダメだったら誰かが謝ってくれる環境があったから、理屈なんか立たなくても感性でドンドン走れたんでしょうね。走りながら考えて、ダメだったら謝る……騒がしくって、高崎人らしいね」

「今の僕はほとんど“謝り役”で、『挑戦してこい』『次は迷惑かけないように頑張れよ』と若い人に言うんです……だって、そういうことを言ってくれる先輩がいたから、“順番で”僕が言わないわけにもいかないでしょう(笑) 先輩に面倒見てもらった分、次の世代の面倒を見る。僕の時代に(若い人の)自由を守ってくれた大人の風習を、守っているだけなんです」

友光さんの挑戦を支えてくれたのは、“言わず語らずのかっこいい先輩たち”が作り上げた高崎の街だった。若い人を支え、新たな挑戦を後押しするための街の在り方。今なおその風習は、バトンのように地域で脈々と受け継がれている。

「高崎の街はバリアフリー(障壁がない)ですよ。街なかのイベントをきっかけにしてもいいし、どんどん来て、関わって、いい街をつくるために手伝ってほしいです。僕はたくさんイベントをやってきて、皆にいっぱい迷惑をかけたけど、皆『しょうがねえ、またかよ』って手伝ってくれます。近頃の皆さんは“迷惑をかけること”を嫌がるけど、もう一歩踏み込んで欲しいですね。(僕たちは商品を輝かすプロですから)商店主に“名脇役”を任せてくれれば、皆さんをサポートできると思います」

友光さんが語ってくれた“順番”という言葉からは、時代を超えて・世代を超えて暮らしを支えあう力を感じるだろう。「孫・子のためにいい街でありたい」と語ってくれたように、次へ次へと繋いでゆく想いが大事なのだ。

私たちも、この街の時代を支える1つの力である。名脇役が揃う“商店街・街なか”に一歩足を踏み出して、未来の暮らし方を共に考えてみることから始めてみよう。

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この記事に関連するメンバー

西 涼子

どうも、こんにちは!
群馬県でフリーのライターをしている西(編集長)です!
地域を盛り上げる力は市民から!ということで、
イチ高崎市民の目線から、高崎市の魅力を発信しています。

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