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高崎市下横町 職人が語る町の文化と“修理の街・高崎”ビジョン

職人の街、高崎市。近年では手仕事の商品も少なくなり、物に愛着を抱く人も減っている。それでも、高崎市下横町の『靴とかばん修理と合カギの店 ホップ』には変わらず丁寧な暮らしを求める人が集う。職人であり店主の高橋公明さんが見つける職人の未来とは。マニアックな高崎の一面をご覧あれ。

2018.09.29

職人と暮らし

高崎駅近くの通り 小さな店が多く並ぶため歩いての散策がおすすめ

高崎と手直し

職人の街、高崎市。かつて城下町であった駅周辺の地域は、その町名に職人のカテゴリーを冠していることが多い。ものづくりや手仕事に生き、土地に根付いて生活する。卓越した技術で作られる生活の品と、それを使いこなす庶民の知恵。古き良き高崎の街景色は、そんな丁寧な暮らしの風景だったに違いない。

現代は大量生産・大量消費の時代と言われる。物は機械によって作られ、使い捨てが主流となった。時代は流れ、手直しや修理といった経験のない若い人もいるだろう。それでも、物に宿る思い出や愛着を感じる気持ちは変わらない。特別な日に身につけるアクセサリー、物思いにふける夜に眺める形見の品、楽しい思い出を閉じ込めた記念品……そうした物たちへの愛情の形の一つとして、手直しや手入れをしながら保ち・使い続けることを考えてみたい。

『靴とかばん修理と合カギの店 ホップ』

高崎の街中でも、特に“ものを大切に想う人”が集う店がある。高崎市下横町の『靴とかばん修理と合カギの店 ホップ』だ。革製品の修理を手掛け、多くのお客さんが履きなれた靴や思い入れのある鞄を持ち寄っては手入れをして帰ってゆく。職人であり店主の高橋公明(たかはしきみあき)さんは革修理のスペシャリスト。寡黙で頑固な職人、とは違った明るくチャレンジ精神旺盛な職人だ。

今と昔。暮らしが変わるにつれて職人の働き方も変わってきた。一風変わった職人が高崎の街で見つける職人の未来とは。知る人ぞ知るディープでマニアックな高崎の一面をお届けしよう。

職人を応援するWEBメディア、今回の更新は町の修理屋さんに17万字の密着取材!

番外編にはマニアックな小話、ご用意ありますよ。

革職人として

今直しているのはね、と見せてくれる高橋さん

職人の道へ

あら町の県道25号を聖石橋の方へ。石畳の歩道を歩けば、右手に伸びる細道に響く笑い声が聞こえるだろう。自転車で来るご近所さんが、遠方ナンバーの車がやってくるその店舗こそ、高橋さんのお店『ホップ』である。

得意とするのは革鞄の修繕や靴の手直し、修理。20代の頃に親方のもとへ弟子入りし、開業して21年の職人技を求めてやってくるお客さんは県外の方も多い。出身地群馬県と東京都を行ったり来たりという高橋さんの、弟子入り時代を聞いてみた。

「はじめは営業の仕事についたんだけど、『俺、ずっとサラリーマンはできない』って思ったんだよね。しばらく働きながら、この(修理の)仕事を見つけて。教えてくれる人のところへ通いはじめたんだ。こっそり。」

「親方はすごい人でさ、もし俺が中卒で弟子になっていたら……今頃日本の50代の職人の中じゃ5番目くらいになれたと思うね。普段は“旅がらす”の袋も開けられないほど不器用なんだけど、靴のことは左甚五郎って感じさ。」

軽快な職人口調で語られるのは、昔ながらの親方と弟子のコミュニケーション。蕎麦屋に行って親方がざるを頼めば弟子はもりを頼み、椅子が一つあれば立って親方を待つ事が当たり前だった。なんといっても不条理な世界。朝と言うことが違うことは「しょっちゅうだった」そうで、すっかり慣れてしまったという。

「親方に『店、掃いとけ』って言われて『へーい』ってやってると、しばらくして『おい、何さぼってんだ!』と言われるんだよ。でも、『社長が言ったんじゃないですか!』って反論したら……修業にならなかっただろうね。」

「『おめえが来ると仕事にならねえ』って言いながら、教えてくれた。いや、ミシンなんかは針の通し方しか教えてもらってないか。盗むっていう感じで……見よう見まねでやれ、みたいな。まぁ立川談志よりまともだと思ってるからさ、全然いいやね。ははは。」

人によってはとっつきにくいと感じる世界かもしれない。“今時の”なんて括りで想像される現代人には、経験のない仕事の在り方だろう。それでも、20代の高橋さんはすんなりと職人の世界を受け入れることができたという。“身近な職人”の存在、それは高橋さんの祖父だった。

「うちのじいさん、大塚金作は腕のいい畳職人だったんだよね。小さい頃から見ていて、職人にはなりたくないと思っていたんだけど……やっぱり職人の道に進んじゃった、血かなぁ。そういえば、じいさんと俺、そっくりだもんな。外面は良くて内面が悪いところだとか。」

ニコニコ顔の奥様が絶妙な間合いで「ええ、ええ。」と頷く。明治生まれの職人だという高橋さんのおじいさんは、今でも知る人から「腕のいい職人だったね」と評判なほどだ。おじいさんの引くリヤカーにのって仕事場で遊んだ記憶が、職人を身近に感じる所以。まるで導かれるように、職人の世界へ飛び込んでいったのだった。

「最初は店の名前を、じいさんの名前の『大塚金作商店』にしようと思ったんだけど。皆にすごい反対されてね、ははは。お袋に『あんな貧乏じじいの名前つけたら貧乏になる』って言われたんだよな。」

背中を追いかけた“職人”への尊敬と愛情を感じるインタビューがはじまった。

靴の裏が直しやすいようになってる、との豆知識

マニアの道へ

弟子入り後、32歳になった高橋さんは高崎市で革物修理の店『ホップ』を開業する。現在の店舗は場所を移して3店目。所狭しと並んだ靴底や革生地に囲まれて、笑顔のご夫婦が出迎えてくれる温かな店舗だ。

店の奥、右手にはお客さんからお預かりしている品物がずらり。よくみれば、婦人鞄やハイヒールなどの艶やかな革に紛れて編み上げや分厚いソールを装備したアイテムが顔をのぞかせる。

実のところ、『ホップ』はただの町の修理屋さんではない。冒頭でも紹介したように、客層は広く老若男女・県内外を問わないほど。固定の“ファン”をもつ個性的な店なのだ。

その特徴の一つに、先ほどの強面な靴――戦闘靴・コンバットブーツをはじめとするサバイバルゲームの革製品や他店では扱えないブーツなどの手直しができることが挙げられるだろう。“その道の人向け”の靴修理や革物製作ができると口コミは広がり、高崎の中でも知る人ぞ知る名物スポットとなっている。

「昨日も相模原からわざわざ来てくれたお客様がいて。インターネット経由で靴が送られてきたりしますね。ブーツ好きな人なんかは、すごく大事に履いているから何度も通ってくれますよ。」

「それから、映画の小物も作るからね。」

そう言って高橋さんが取り出したのは革で作られた刀帯ベルトや鞘カバーなどの意味ありげな品々。“その道の人向け”の店は、マニアだけでなくプロの世界でも映画やドラマの小道具製作に重宝されているのだ。

「小道具屋さんが当時使っていたものや文献から色や素材を決めて、俺が作る。うちがオーナーで職人だから安いみたいで。あとは俺が好きだから、面白くて楽しいよ。」

「作品で言うと『私は貝になりたい』とか『テルマエ・ロマエ』とか。あの革のシャンプーハットなんて図面かいて作って……時間がかかったのに5秒も映ってないんだから、ばっかやろう。」

と言いながらも笑顔なのは、店長も相当なマニアだからだろうか。ミリタリーマニア向けのアイテムに対しても、時代劇や年代物の依頼品に対しても真剣勝負。その知識の深さは、まさに好きでなければ到達できない領域だ。“知らなければ直せない”とお客さんが参加するイベントに足を運び、手直しのこだわりはマニアも唸るレベルである。

「お客さんからね、『日本軍の編上靴なんだけど……』って言われたら『それ中田の?』って言えるか言えないかだからね。いや、何を言ってるかわからないと思うけど……でも、わかる人に預けたいって思うじゃない。」

「他の店で『ちゃんと直りますか』って聞いても、他の職人は“履けるように”直せるだけ。お客さんが思う“オリジナルに近いように”とか“理想の形に”っていうのはわからない。俺は、そこをわかってあげないとダメだと思っているからね。」

その後、紹介しきれないほどにマニア垂涎の知識を語ってくれた高橋さん。隣で困り顔の奥様が「ごめんなさいねぇ、好きなのよ」というのも微笑ましい。職人として技と向き合うだけでなく、人としてお客さんと真剣にコミュニケーションをとる。何度もリピートする馴染みの客が多いのは、そうした真摯な高橋さんの姿勢あってのことだろう。

もし読者の皆様の中に、ぱっと「編上靴」が読めるマニアな方がおりましたらぜひお店へ(漢字がわからずひたすらに調べました、へんじょうかと読みます。)

それにしても、好きなものを語る人の顔はイキイキするものですね。こっちまでトキメキ!

職人として思うこと

「俺のじいさんの若い時……じゃなくて、俺のコスプレなんだけど」とお気に入りの一枚を見せてくれた

挑戦

真摯でこだわりをもった職人であり、映画の小道具作製やSNS運用などの新挑戦も忘れない高橋さん。革の匠として、名物店長として、意識していることはあるのだろうか。

「例えばだけど、喫茶店で焙煎とか豆にこだわるより名前を『喫茶クイーン』にして。クイーンの曲しか流さないフレディの恰好したフレディ好きのおじさん、って方がネットで流行ると思うんだよね。珈琲はそこそこで、カレーが旨い、みたいな。隣に住んでいる人は来ないかもしれないけど、遠くから好きな人が来てくれる。うちもそういう感じかな。」

「小道具づくりだけで生きていけるわけじゃないけど、そんなことする職人はいないから。今までの技術で他がしない部分も、やってみる。ストライクゾーンが広いんですよ、うちの店は。」

“職人”――あくまで一般的にという話だが、多くは自身の分野から飛び出した依頼は受けないものだ。和食器づくりの職人が各地でオンリーワンの焼き物をつくるように、仕事への誇りとゆるぎないスタイルが職人の技をつくる。

その点、高橋さんのような柔軟な発想と広い分野で対応する職人は“変わっている”のかもしれない。

「俺は別に、困っている人がいるならやってあげればいいじゃんっていう感覚ですよ。普通職人はしゃべらないとか、そんなことしないとかって言う人もいるけど。俺は元々、営業をやってたし。職人じゃないからね。」

 

職人らしくない自分だからこそ、できること。その根本には“お客さんへの愛情”と“職人への叫び”があるのです!このまま話を聞き進めてみましょう……!

熱い想いは職人として、この街を愛する市民として

生きていくために

「『自分不器用ですから……』で、やっていける職人は良いけどさ、俺みたいなカメレオン職人もありだと思うんだよ。営業したり、SNSしたり。うちのじいさんの最大の欠点は営業ができなかったことなんだ。」

思い出すのは、あの背中。

手仕事、技術ある職人の世界は高齢化の波を大きく受けている。高橋さんの周りの職人も60歳以上がほとんど。むしろ60歳を超えたオーバーエイジたちがサキガケでありシンガリを務めるような状況だ。当然ながら昔気質の職人の中に、営業をかけたりデジタル機器を駆使する者は少ない。高橋さんはそんな職人の未来を変えたいと考えている。

「俺のじいさんも、営業ができていればすっごい金持ちになれたと思うのになぁ。仕事がないと一日家にいたっていうからね、職人は。俺は『旦那!そろそろ畳の表替えどうすかね!』って行けるけど。」

「でも、職人も仕事がない時に『暇だ暇だ』って言うだけの時代は終わったよ。今はスマホで探すもんな、皆。腕が良ければお客さんが絶対来るなんてそんなことはない。むしろ理由があれば……遠くからだって来てくれるんだ、お客さんは。だから俺は、職人仲間にHPをつくったりSNSをやれって言うね。」

「ルイビトンにしてもカルティエにしても、海外の職人が始めたブランド。対して、日本には職人発のブランドは少ないよね。それは腕のいい職人はいても、ネットワークをつくれなかったりデザインができなかったから。もっと職人は発信して、出張っていかないとって俺は思うんさ。」

周りのぼやきは、もう聞き飽きた。弟子が取れない、俺の代で終わりだ、食っていけない、やる気のあるやつもいない……そんな今を変える鍵は“情報”だと高橋さんは叫ぶのだ。未来の見える仕事をしよう、職人が生き残れる世界を作ろう。そんな熱い想いが火花のように言葉の端々に光った。

「たまに、俺が楽しげに見えるのか働きたいっていう若いやつも年に3人くらい来るよ。でも本気じゃないんだよな。独立目的といいつつ技術に金は払いたくないって。本気でやりたいやつには教えてあげたいけどさ、むやみにノウハウをあげるのは嫌だって気持ちは、俺もわかるから。」

職人であると同時に、職人でない部分もある彼だからこそ。そのさっぱりとし物言いに大きな期待を感じるだろう。伝統や文化……変えてはいけないものもある。それは、革職人という“温故知新”の技をもつ高橋さんの良く知るところだった。大切な物を残していくために、新しい技術や挑戦を欠かさない。そうした慈しみの心こそ、“修理・手直し”の本質なのだから。

この街で暮らす

高橋さん作成の職人マップ 新バージョンの作成を編集長としてくださる方、募集中です

文化を守る

職人として、高崎人として。高橋さんのこれからについて話を伺ってみることにする。職人の街で、これからも職人が生きていくためには何が必要なのだろうか。

「『絶メシ』じゃないけど、『絶店(ゼツミセ)』とかって本にしたら面白いだろうなと思って、地図を作ったんだよね。このあたりの修理職人の店の。直して使う、それが当たり前になるような“修理の街・高崎”にしたいと思ってるよ。」

「その為には、職人の技が安ければいいってことじゃないと思う。今の日本からは“手間”っていう概念が抜けちゃったからなぁ……そこを認識してくれないと、職人は絶えちゃうよね。大量生産の機械の、海外の手仕事になっちゃう。この町で文化を守って、職人を育て使っていかないとね。」

家での手仕事、町でみる職人、暮らしの中で生きる技。そうした生活が移ろい変化していく中で、私たちの心の在り方も変わってしまった。追い求めた利便性や価格で埋め尽くされた世の中で、私たちに“手で作り出す価値”を認めることはできるのか。この町の、そしてこの国の文化として守っていくのは“今時の”私たちなのである。

 

職人というのは厄介なものだ。

真面目で、頑固で、仕事のプライドは高い。べらんめえ口調で突き放したかと思えば、情に厚くてほだされやすい。一度引き受けた仕事は納得いくまで突き詰め、真摯にあなたのことを考えてくれる。気が付けばもう、技に人に惚れ込んでしまっているだろう。あなたは、そんな厄介な職人と接したことがあるだろうか?

「今の若い人は職人と関わる機会がないからね。昔は庭先だったり店だったりどこでもいた。みんな調子が良くて、うちの親方なんて典型さ。豚もおだてりゃ木に登っちゃうんだからね。『名人!』とか言うとさ。」

「仕事を受ける前に交渉されるのはいいんだけど、仕上げた後に値引きされると『俺の仕事が気に入んなかったですか』って思っちゃうところも、ある。それは職人のプライドなんだっていうのをわかって欲しいね。それと同じくらい、義理人情も固いよ。俺もへらへらしてるけどね、そういった“約束”だけは守ってこそだと思うんだ。」

愛すべき厄介な隣人が、これからもこの街で暮らせるかどうか。

職人の街・高崎に必要なのはひとまず理解しあうこと。それが始まりの一歩なのだ。

高橋さん夫妻をパシャリ コンビネーションが素晴らしいです

街をつくる

最後に、高橋さん自身の「高崎での暮らし」を訊ねてみよう。町の職人として生きること、その未来をどう考えているのだろうか。

「最初に開業したのが北双葉町。その後、栄町からこの下横町へ来て15年目。高崎で開業したのはやっぱり、商業の街だからだね。県外から来たデザイナーのお客さんが『面白いから住みたいなぁ』って言ってたよ。たしかに良い町だよね、ここは。店も動かさないだろうな。」

だからこそ、高橋さんはこの町で動くことをやめない。職人マップをつくり、職人仲間のHPをつくり、遠くから来店したお客さんにはとっておきの地元の名店を教える。この町を、高崎市を愛する人が増えるように。職人の未来が明るくなるように。小さな活動が少しずつ、この町の良さを深めていく。

思い入れのある小物、大事な記憶を運ぶ品。中でも革は年数を味としてゆっくりじっくり育っていく。

偶然インタビュー中に店を訪れた常連さんが、大事そうに革鞄を受け取りながらこういった。

「良いものは、直せばまた使えるんだから。」

彼女が持つ鞄には、いったいどんな物語があるのだろう。彼女と鞄を再びつないだ職人の技を守るには、何が必要だろう。私たちも街に刻まれた想いを見つめなおし、立ち返らなければならない。本当に良いものをなくさないために、改めねばならないものがある。

職人の街、高崎市。それは職人を愛する人と職人が、共に暮らす街なのだ。

靴とかばん修理と合カギの店 ホップ

住所:群馬県高崎市下横町10-4
電話:027-324-5240
営業時間:10時半~19時まで(日曜日定休)
※日々の修理内容はブログ、Twitter、ユーチューブにて発信中!

番外編 編集長のアサイド

本文には(マニアックすぎて/長すぎて)入れられない、高橋さんの熱い想いを届けたい!
今回語ってもらったのは、旧日本軍のシューズ修繕。マシンガントークの弾幕感を感じてもらえればと思う。

「今回の日本軍の靴だけども、本当はこういう底じゃないんですよ。革が違うし、鋲が入っているのも特徴。というのも日本は物資がなかったからしょっちゅう直せるように作っていたんだよね。面白い、面白いですよ、普通の革と逆に靴が作られているでしょう。つるっとしたほうが内側で、外側が柔らかくて。これは靴下がずれないように。この靴もレプリカだけど同じように作ってありますね。」

実際にはもう少し専門用語の弾も飛んでくるのだが、ご容赦いただきたい。
どばっと入ってくる情報の中には、確かな愛を感じざるを得ない。

「これはサバイバルゲームで履くので、ちゃんとしたいってお客さんが言うんでね。そこで、ダイナイトっていうイギリスのソールがあるんだけど……こういう設定でどうだって言ったんです。『イギリス軍から捕獲したソールを靴工兵――靴を直す人をそういうんですけどね――が直したという設定で履けばおかしくないよ』って。世界観を壊さないようにさ、マニアの人は納得しないこともあるから。もちろん、ミリタリーだけじゃなくてブーツのマニアの人にもこだわって直していて、こっちの革は……」

職人とマニア。どちらもその道を極めた者であるという点では、通じるものがあるのかもしれない。自分の大切な品について、同じ熱量をもって語ってくれる高橋さんが直してくれること、それはかけがえのない喜びだろう。修理の技を越えた、ハートをわしづかみにする『ホップ』の魅力。ピンと来た方はぜひともお店へ足を運んでほしい。深みにはまりすぎないよう、要注意だ。

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この記事に関連するメンバー

西 涼子

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群馬県でフリーのライターをしている西(編集長)です!
地域を盛り上げる力は市民から!ということで、
イチ高崎市民の目線から、高崎市の魅力を発信しています。

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