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高崎市箕郷町 里山を愛する『森人』に聞いた、田畑で育てる高崎の未来

高崎市の“梅”、そして農業の魅力を探るべく、箕郷町の梅農家『福島農園』の福島さんを取材した。昨年からはレンコン栽培も始めた彼の今までの歩みと「里山への想い」を聞いて、田畑で育てるこのまちの未来を考えてみよう。

2019.10.04

高崎市と農業

小鳥のさえずりと虫のこえに歓迎され、箕郷の田畑へやってきました! 特徴的な葉っぱは今回の主役……さあ、野外インタビューのはじまりです!

高崎市の実り

果樹栽培の盛んな街、高崎市。榛名地域の『フルーツ街道』をはじめ、梨や桃・プラムなど季節の果物で彩られた暮らしはこのまちの特徴である。特に高崎市(箕郷、榛名町)の“梅”の収穫量は、東日本1位の収穫量を誇る産地として有名だ。梅干し、梅ジュースなど地域の味を楽しむ機会は多い。このまちの暮らしには、自然の魅力がたわわに実っている。

 

あの葉っぱの茎は、小さいながら立派なレンコンのかたちをしているんです(かわいい) 梅×レンコンの美味しいお話を聞いてみましょう♪ 

『福島農園』

今回は高崎市の“梅”、そして農業の魅力を探るべく、箕郷町の梅農家『福島農園』の福島毅(ふくしまたけし)さんを取材した。彼が1つ1つ手塩に掛けて育てた梅でつくる『森人の梅』ブランドは、国内外を問わずファンに支持されており「高崎の梅の魅力」を発信し続けている一品だ。また、昨年からは市内初の“レンコン”栽培にも挑戦。新たな農業スタイルを確立し、里山と向き合う暮らしをしていると話してくれた。

福島さんの語る梅づくりの“今まで”と“これから”の話。箕郷町に広がる梅林、水田、竹林、山々など、暮らしの風景が私たちに伝えてくれる大切なことは何だろうか? 福島さんの言葉を通じて考えてみるとしよう。

お隣安中市の「秋間」と合わせて、高崎市の「榛名」「箕郷」は「ぐんま三大梅林」として有名な地域。春のお花見シーズンに、美味しい&美しい梅を求めてお出かけするのがオススメです

森人として暮らす

今回取材に答えてくれたのは「梅ちゃん」こと福島さん 田畑を間近に見ながら、熱い想いを語っていただきました

森人の梅

しっとりとした霧雨で潤う高崎市箕郷町。見渡す限りの大自然に囲まれた『福島農園』の畑にて、インタビューは行われた。細かな枝を天へと向ける梅の木とすっと伸びた蓮の葉。梅、そしてレンコン農家である福島さんが農業を始めたきっかけから伺ってみるとしよう。

「『福島農園』は僕の父が始めた農園です。実家におじいちゃんが植えた梅の木があり、父が育てた米や野菜は身近にあるような暮らしでしたが……僕は農業も梅も、好きではありませんでした。農家になる前の仕事は、配電盤や制御盤の最終検査やプログラムのデバッグをするエンジニア。『一生技術系の仕事で食べていこう』と決意していたほどです」

「農家になったのは、45歳の時ですね。年齢を重ねてゆくにつれて、両親や妻が体調を崩したりすることもあって……“家族の大切さ”を意識するようになったことがきっかけでした。『自分がやりたい仕事を続けることよりも、家族が同じ方向へ進める暮らしがしたい』――梅の産地である箕郷町の実家で、家族一丸となって美味しい梅干しをつくったらどうだろうと考えるようになったんです」

「農業を好きになるところから始めたんですよ」と話す福島さん。元エンジニアらしい理論的な栽培へのアプローチや独自の目線が功を奏し、チャレンジングな取り組みを成功させているように感じる。箕郷の梅と天日塩でつくる梅干し『森人の梅』はバリエーションも豊富で、食べた人を“幸せ”にする贈り物としても人気が高い。土地の良さを生かして、家族の在り方や暮らし方を見つめなおした福島さんだからこそつくれた梅干しである。

「地元高崎市は東日本1位の梅の産地ですが、全国的な知名度はありません。紀州の梅を知っている人はたくさんいても、群馬・高崎の梅は知られていないんですよ。市場出荷がメインだからというのもあるかもしれませんが、僕らはもっと消費者と向き合わなければいけないなと感じています。僕は、自分のつくる梅で世の中を変えたい。20年後には『高崎の梅を持ってきました』と言ったら『よく来たね』と言ってもらえるような世の中の変化を起こしたいと考えています。」

だからこそ、福島さんは自身の想いやお客さんと向き合うことを忘れない。展示会や商談会の場でも、商品の特徴以上に熱く“気持ち”を語るのだという。『僕の一生懸命つくった梅を、食べてみてください』小さな梅干し一つ一つに込めた想いを確かにつなぎながら、高崎の梅を世界へと広めている。

 

こちらは取れたてのレンコン 丸い茎が連なって育っておりますが、一番柔らかい部分は期間限定で“生食”可能だとか
しゃりっと爽やかなレンコンは、このまちだからこそ味わえる美味しさですね

森人の蓮根

続いて案内してくれたのは、レンコンの育つ水田。元々耕作放棄地だったという畑を借りて昨年から栽培を始めたという田んぼは、高崎市内では珍しい“蓮のある風景”だ。福島さんにレンコンを育て始めた理由と、このまちで育てたいものについて話をしていただこう。

「近所のおじいちゃんが亡くなった後、手入れされていなかった田んぼにレンコンを植え始めたのが去年。平成28年に梅の不作を経験して、『今後苦しい時が来たらレンコンが助けてくれるかも』と始めた挑戦でした。不作や豊作、“異常気象”の年は増えていて、今年も大規模な冷害(雹)で梅は全滅です。本当は今の時期、夢中で梅を干していないといけないんですけど……“梅一本”の農家ってすごく経営のリスクが高いんだなと感じます」

「農家として安定した経営基盤をつくるため、つまり“梅の栽培を今後も続けていくため”にレンコンを育てています。梅の収穫・加工時期と蓮根の繁忙期が異なることで、レンコンを楽しみに育てることができますから。これから先、僕より若い世代で梅農家を目指す子の支えになればとも思っています」

豊作の年があるように、不作の年もある。自然の恵みを収穫する農業だからこそ、自然の厳しさと向き合う機会も多いのだ。「梅の作業がある時は梅に、合間に、レンコンの手間をかけるようにしています」と語る言葉の中に、無理せず自然と付き合っていく暮らしの美しさを感じる。自然は抗い・排除するものではない。歩みを合わせて共生していくことが大事なのである。

「それから……草が生えっぱなしの景観を悲しく思ったことも理由の一つですね。里山の風景を守りたかったんです。僕たちの里山にレンコンの葉っぱや花が咲いていて、小さな産地ができたらいいかなと。田んぼの前は通学路になっていて、子供たちも『おじちゃん、これなに?』と蓮の花やレンコン堀りに興味を持ってくれています。子供たちも農業に興味をもってくれたらいいですね」

生き物の気配を感じる水田と、水面の光を反射して輝く福島さんの表情。レンコン栽培という新たな挑戦は、梅農家の未来、里山の景色、子供たちの教育へと広く影響を与えていくようだ。

現在54歳だという福島さんが尊敬するのは、同じく54歳で『福島農園』を立ち上げたお父さん。定年までの1年を惜しんでスタートを切った畑は、今の実りを支えてくれているそうです

里山の未来

まだ成長途中の梅の木も、立派に里山の風景をつくる主役となっています 数年後には、どんな景色になっているのか……今から楽しみです

風景の先に

今までの農家としての取り組みを語ってくれた福島さん。これからの活動の中で大事にしていきたいポリシーを伺うと「里山の風景を守ること」だと答えてくれた。自然と共に暮らすことを想像しながら、話を聞いてみよう。

「里山というのは“手つかずの自然”ではなく“人が介在した自然”のことを言います。まさに日本の原風景、人と共にある美しい自然のことですね。昔は里山の資源を利用して生活する――例えば、落ち葉や木の枝を拾ってきて燃やしたり、たい肥をつくって畑に還元したりして、里山の循環を作る暮らしはあたりまえにありました」

「ですが、化石燃料が流行ってから里山はどんどん廃れていきましたね。農業が拡大生産・機械化の方向へ向かい、里山を守る“中山間地域の農家”も減少していったからです。里山がなくなることで生態系は壊れ、山では人間と獣の暮らす境目もありません。まちに動物が出てきてしまう問題は、こうした理由もあるんですよ」

「僕らのような果樹を育てる農家は『手で梅をもぐこと』を機械化できませんし、生産性を高めることも難しい部分があります。そこで、健全な経営をしながら里山を整えたりすることに力を注げればと思っています。たとえ一人でも、守っていきたいですね。美しく整った里山を若い人に見せて『これが日本の原風景でしょ』と言いたいんです」

田畑の背景を青々と彩る竹林も、福島さん自ら毎年600本ほど間引いて一部を、蓮根の肥料へと還元しているそう。生態系の循環を止めずに、自然の中で暮らすこと。里山の風景を守る「守り人」の想いは、『森人』と名前を変えて商品にも受け継がれている。

 

「里山と川と海と、全部が繋がっているんですよ」と福島さん。海より遡上した鮭が山の生き物に食べられ、その栄養素が森の木々から見つかるのだとか!

私たちの命を取り巻く大きな循環、人の手で壊すことのないように慎重に付き合っていきたいですね

「私がつくりました」とポーズをきめてくれた福島さん 白くて艶やかなレンコンのおいしさは、この笑顔がないとダメなんですっ!!

命のつながり

最後に福島さんが話してくれたのは「これから農業を志す若い世代への想い」について。70歳で梅農家の引退を考えているという福島さんが願う、農業と共にある高崎の暮らしとはどのようなものだろうか。自然豊かなまちだからこそ考えたい、未来の話をしていこう。

「僕は50歳の時、新しく若い梅の木を改植しました。親から子へ事業を引き継ぐ以外の形もある今、“次の人”に田畑を引き継いでもらえるように準備をしています。きっと、20年後には梅の実もたわわに実っているんじゃないでしょうか。魅力的な農業経営をして、ひとまず70歳まで頑張る。もう一度梅農家をしたくなっちゃうかもしれないんですけど、そんな想いでやっています」

「そうした(事業継承の)ことを考えると、やはり高崎のまちに“農業を勉強するところ”が欲しいですね。群馬県に、農学部の大学ができればと。僕も梅やレンコンの研究をするために県外の大学へ学びに行きましたし、農業の勉強をしたい優秀な人材が県外へ出てしまうという話も聞いています。農業に関わる人を増やすために、産地を盛り上げ産学官の連携を進めるために……そして農家自身がレベルアップするために、このまちに学びの場が欲しいんです」

福島さんが想いを馳せるのは、1年前の自分自身。初めてのレンコン栽培――地中の中で育つレンコンの仕組みがわからず、四苦八苦したという。「大地と対話する農業の世界では、“長年のカン”や“今までの経験”だよりの部分も多いんですよ」と福島さん。若い就農者や新たな後継者を育てていくためには、経験を学びとして伝える場が必要だと話してくれた。

「基本の知識を学ぶ場所がこのまちにあれば、若い人に農業の魅力も伝わるし、現場にもスムーズに入ってこられるんじゃないかと思います。僕自身、新しい取り組みや海外輸出への挑戦をしていますが、目指しているのは今後“新しい取り組みや、海外輸出をしたい若い子たちの後押し”です。ジジイとしてのミッションですね、僕以上に、これからの若い人たちにステップアップしてほしいと思っています」

「僕が農家になったのは45歳、梅の改植をしたのは50歳、レンコン栽培を始めたのは53歳。いつでも始めるのが遅いんですよ。でもね、遅すぎるということはありませんでした。『思いついたらいつでも始めよう』、若い農業者へ積極的に伝えている想いです」

福島さんが手をかける里山に植えられた、まだ高さのない梅の木。枝葉を一生懸命伸ばす姿は、数年後の里山の景色を支える力だ。未来を見据えて植えられた梅の苗木のように、私たちも未来への苗を植えていかなければならない。

この街に必要な力は何か、私たちが育むべきものは何か。今できることから一つ一つ、未来をつくってゆこう。

 

福島農園

福島農園
〒370-3114 高崎市箕郷町金敷平476-2

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