つくる

高崎市吉井町。デザイナーが再発見する地元の魅力

「お江戸見たけりゃ 高崎田町」とうたわれた商人と職人の街・高崎は日々変化している。吉井町の『有限会社デザイン・ゲン』の代表・戸塚佳江(とづかよしえ)さんも、暮らし方や働き方を変えてきた者の一人だ。25歳でデザイナーとして独立した彼女に聞く、高崎で楽しく暮らすヒントを紹介しよう。

2018.08.09

高崎で働く

高崎とデザイン

商業都市、高崎市。

古くは「お江戸見たけりゃ 高崎田町」とうたわれたほどに、数多くの市が立つ商人と職人のまちだった。時は流れてまちは変わり、人も変わり。その暮らし方や仕事も変化し続けている。中でも、地方での働き方は大きく変わりつつある。リモートワークやUターン就職の一環として“好きな場所で働くこと”ができる時代になってきた。

商人の街と呼ばれた高崎市も、様々な暮らし方をする人がいる。

それは、形ないものを売る仕事――商品の良さを伝えるデザインの仕事も同様だ。近年ではブランディングという“価値のデザイン”が、私たちの暮らしの中にも芽吹きだしているのを感じることができる。地方にとっては、地域の良さを見つめなおし生き残っていくための、現代メソッドなのかもしれない。

デザイン・ゲン

さて、今回はそんな高崎市で働く女性デザイナーの戸塚佳江(とづかよしえ)さんを紹介しよう。

彼女は吉井町のデザイン会社『有限会社デザイン・ゲン』の代表であり、高崎市民にはお馴染みの『シャンゴ』のシンボルマークや『氷室豚』のブランディングを手掛けるデザイナー。先に述べた地域ブランディングにも力を入れており、街は違えど わが県の魅力的な地域・四万のブランディングも手掛けている。

そのデザイン力は仕事だけではなく、板絵作家の江女(こうじょ)としても発揮されている。古くなった戸板に描かれる花鳥風月は、今の彼女を支えるデザインの一つだ。後程作品についても紹介しよう。

 

25歳でデザイナーとして独立した彼女が、高崎の土地でどのような成長を続けてきたのか。これからの高崎をどうデザインしていくのか。「滔々と流れる大河のような」人生を歩む彼女の話に、高崎で楽しく暮らすヒントを見つけてみよう。

急に始まるク~イズ!ということで問題です。

『デザイン・ゲンさんのロゴマーク(カラフルなバー)は何を表しているでしょうか?』

なるほど、デザイナーは見る目が違う…!と思ってしまう答えが待っていますよ~

高崎のまちから

新緑の青穂をみて

戸塚さんの生まれは吉井町。旧多野郡であり、ユネスコ「世界の記憶」として登録された上野三碑(こうづけさんぴ)の多胡碑(たごひ)が建つまちである。背景には森が、目の前には田畑が広がる町で生まれ働く戸塚さん。学生時代は田舎の景色も農家の子である自分も嫌だったという。

「『実家は何をしているの?』と言われたときに、『会社員』とか『商店やってる』っていう答えが羨ましくて。すごく自分の中でコンプレックスになっていたんですね。学校から帰れば『手伝って!』と母の声…やりたいことがあるのに、と嫌々田畑を手伝っていた記憶があります。」

「だからでしょうか、『どうしてこんなところで、デザインの仕事をする子が育ったの?』とよく聞かれました。仕事を始めた20歳そこそこの時には自分でもわからなかったのですが…『(地元が)私をこういうデザイナーにしてくれたんだろうな』と後から思うんです。」

現在の戸塚さんの仕事は、特産品のPRや自治体のブランディングが多く、地域に密着したデザインを求められるという。季節感や自然を大事にした、あたたかなデザイン。自分自身の中から生まれ出てくるアイディアの源流に、吉井のまちの風景があることに気が付いた。

「俳句を始めた頃、『歳時記』を読んだ時でした。“落穂ひろい”や“植田”を『わかるわかる』と思う自分がいて。自然豊かな環境で生まれ育ったこと、季節に触れてきたありがたみを知ると同時に、デザインの仕事につながっているなと感じたんです。」

「稲刈りの後に母が『穂を拾っておいで』って言ってくれて。くぐって、くぐって…穂を取っていました。その景色が…落穂拾いが、秋でした。」

俳句の先生から『川のように滔々と流れる女性になりなさい』と頂いた俳号は『江女』。自然と向き合う自分にぴったりの名前だと感じた。私のルーツはここなんだ…その気づきを皮きりに、板絵作家としてのストーリーが始まることとなる。

板絵というデザイン

「自分の“オリジナル”な作品について悩んでいた時期でした。」と話すのは、デザイン事務所を設立したての20代中頃。かつての美大仲間から届く案内状や個展を見ては、自問自答を繰り返す日々を過ごしていたそうだ。板絵と出合ったのはちょうどその頃。実家の戸板がきっかけだった。

「16枚くらいでしょうか…二階建ての実家の雨戸を外してサッシに入れ替えた時に、役目を終えて積み上げられた戸板がありました。何をするでもなく、捨てるだけの。それを見た時に『あ、これだ』とひらめいたんです。」

雨風に晒され木目が浮き出た杉板は、ただ処分されるのを待っていた。その姿に、幼いころに暮らしていた時の情景が、フロッタージュ(拓本)をして遊んだ記憶がよみがえる。戸塚さんが絵を描きだすまでに、それほど時間はかからなかった。汚れていた戸板を洗い、古く錆びた釘を抜く。ふわりと杉の香りが漂ってきた時に木の命を感じた。

自分らしい作品ってなんだろう――悩んでいた心が晴れていくのがわかった。

 

こうして「板の力を借りながら」板絵に取り組んできたという戸塚さん。平滑でない不自由なキャンバスに描くことが、かえって筆をとる勇気をくれる。「自分にもっとデッサン力が、表現力があれば紙とペンで勝負していたと思います。」そう話す彼女を、板絵というデザインが元気づけてくれたのだろう。平成“元”年に設立した社名の由来が「デザインで元気に」であるように。

「制作し始めてからは、皆さん興味をもってくださって『うちにも戸板があるよ』と。軽トラ長靴エプロンの恰好で、戸板をいただきに行って…額縁を手作りしたり、焼き杉風にバーナーで焼いたこともありました。」

作品のモチーフの多くは兎や蝶、鳥や花。高崎市本町にある『蔵カフェ もぎたて完熟屋』では戸塚さんの作品を見ながら食事をすることができる。題名は『萩の月』、『あさがお』、『喜哀楽』など。どれもが自然に育てられ、自然を愛する戸塚さんの人柄がでた作品となっている。

「気づけば連作を作っていたのですが、今考えれば実家の襖絵の記憶があったからだと思います。“奥の間”には『松に鷹』や『あじさいに燕』の襖が連なっていて。板絵も、モチーフもここで育ったからなんでしょうね。デザイナーになったのも。」

大人になってみて、初めて見える景色があるように。地元や実家という自分の“家”は、その時々によって映り方が違うのかもしれない。戸塚さんは嫌いだったはずの風景に、大好きなデザインの核を見出した。

今、あなたにはこの街がどう見えているだろうか。願わくば、高崎を遠く離れてしまったあなたに。もう一度見て欲しい風景がある。

『蔵カフェ もぎたて完熟屋』さんにある板絵は額縁のみガラスなしで飾られております!

つやつやした木肌や凹凸と影…立体的にも楽しめるのでぜひ見てみてくださいね。

湧水のように

ある時はデザイナー、ある時は板絵作家、そしてある時は…俳句をたしなみ母として高崎で暮らす。戸塚さんは『江女』の名にぴったりの、ゆったりと流れ移る川のような落ち着きある女性だ。

しかし、川の上流は細く小さく――荒々しい。戸塚さんが、まだ山を走る小川だった頃。“新米ちゃん”時代のエピソードも伺った。

「独立したての頃は、イケイケのバブル時代だったので…肩パットを入れたり赤や緑のスーツを着て、自分を少しでも大人に見せようとしていました。小切手も手形もわからないひよっこがどんな格好をしても、中身はわかっていたと思うんですけれど。」

「今までは机の上だけでしていた仕事を、自分で営業に行って打ち合わせをする。お客さんのところへ行って話をまとめることがどんなに大変か…営業さんに『なんで私のデザインで決めてきてくれないんですか!』なんて言っていたことを、後悔しています。」

仕事はどうだって聞かれても、わかりませんと答えていたくらいで…と語られる少女の話は、今の戸塚さんとは正反対のように見える。広告代理店にいたのはわずか数年。当時つかっていたという会社のロゴはかっちりとしていて、背伸びをしているようにも、強がっているようにも見えた。

そんな“新米ちゃん”だからこそ、心に残ったことがあるという。

「最初に勤めていた職場はわずか5か月。あっという間にやめてしまいました。それなのに職場の方は、お別れに色紙や絵をくださって。皆さん新米ちゃんにとってもよくしてくださったんです。」

「独立後も、請求書の書き方がわからなかったり支払いで躓いたり。色々なことをお客様が教えてくださいました。実家で農作物を納める時には領収書もみたことなかったんですから、本当に無謀ですよね。」

だからこそ、なぜ辞める新人に『好きな道を選んでいいんだよ、頑張ってね』と言ってくれたのか。叱りながら育ててくれたお客様のありがたさも、無理だやめとけと言った先輩デザイナーの優しさも、“新米ちゃん”にはわからないことばかりだった。失敗と傷を積み重ねて、一人前となった戸塚さん。多くの支流に力を借りて川が大きくなるように、弱々しかった湧水は大河となった。

「あの時の恩は決して忘れません。だからこそ…常識も知らなかった私を支えてくださった方々のように、次は私が支える番だと思えるのです。ようやく、支えてあげることも支えてあげる幸せもわかるようになりました。」

この街には 優しくて頼もしい先輩が多くいらっしゃるんです、と笑う戸塚さん。「情に厚い」と言われる県民性は、この街も同様か。あの時“新米ちゃん”の目に映っていた大人は皆、優しい笑顔の持ち主だったに違いない。

社会人あるあるだと思いますが、振り返るほどに「あの時は…」という気持ちになりますね。絶賛進行形で。

それにしても戸塚さんの大胆さに、びっくり…!

高崎のまちへ

デザインをこえて

「今は、直接お客様に会える仕事をするようにしています」と戸塚さん。直接クライアントと向き合うことで、一番大事なことが理解できる。誰かを介してデザインするのではなく、1対1の人間として役に立てる仕事が楽しい。

「特にブランディングは、地域にいい要素があっても地元の人が気づいていなかったり、魅力が整理されていなかったりすることがほとんどです。日々の移動は車で、地域の人が街を歩いてないこともあるでしょう? そうした場所に自分が行って、お客様目線で感じることで、地域の人と一緒に魅力を再確認していくんです。」

依頼の9割以上が県内のお客さんだという戸塚さん。仕事のスタイルだけでなく、想いも相まってのことだろう。

「情報を発信したり、コミュニケーションを円滑にしたりすることも仕事だと思っています。今まで、色々なご縁やご紹介をいただいてきました。マッチングなり、サポートできることは色々あると思っています。デザインやデザイナーで括れない部分まで、力になりたいんです。」

今回、取材で使わせていただいた『蔵カフェ もぎたて完熟屋』もその一つ。企業合同で地元の味をPRする“虹色晩餐会”の開場となった。生産者、加工者、販売者、消費者。これらを繋ぐ架け橋となったのは戸塚さん。企画の立案から当日の給仕まで、人と人との輪を繋ぎながら、一緒になって盛り上げていった。

『蔵カフェ もぎたて完熟屋』のニジマスの甘露煮や、氷室豚を活用したメニューなどの商品開発も、新しい人と人との結びつきも、この晩餐会をきっかけとしている。戸塚流のデザインは常に、体当たり。“新米ちゃん”の頃と変わらぬ熱量で、デザインを通じて想いを届けていく。

ブランディングをともに

最後に、高崎で暮らすことについて戸塚さんの考えを聞いてみよう。

「楽しい暮らしがいいですよね。そのベースは、街にある美味しい食事や良い水、居心地のいい住空間や健康だと思います。健康的な暮らしがあるから、絵を描いて、庭を世話して、働けて楽しめる。」

がっつり仕事をするし、したい女なんですと自らを紹介してくれた戸塚さん。農業、独立、子育て、介護…色んな大変さを経験したからこそわかる“本当に大事なこと”。きっと、これからの“新米ちゃん”に向けてのメッセージだろう。大事なことは、案外足元にあるもんだ。そんな風に笑ってくれた気がした。

 

最後に、『デザイン・ゲン』のロゴを思い出してほしい。描かれた十色のカラーは、あなたにあったオンリーワンのデザインを作り出すという彼女の想いが込められている。十人十色は当たり前、「みんなちがってみんないい」のだから。

地域のブランディングが流行っている、そう冒頭でお伝えした。目を引くような観光地、一目でわかる街の色…それもいいかもしれない。それでも、生まれた場所も嫌いだった田舎もあこがれた街も仕事をする地域も。人や時代によって見える景色は違っても、同じ街なのだ。

高崎のまちは変わり続けていく。そこに住む人も、想いも変わる。

人が魅力の街、高崎。その色が人の数だけカラフルであることを願う。

デザイン・ゲン

住所: 群馬県高崎市吉井町上奥平1215
電話: 027-381-6606

最初に出したクイズの答えは、音階!

イコライザーを想像して、ロゴを見てみてくださいね。

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この記事に関連するメンバー

西 涼子

どうも、こんにちは!
群馬県でフリーのライターをしている西(編集長)です!
地域を盛り上げる力は市民から!ということで、
イチ高崎市民の目線から、高崎市の魅力を発信しています。

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