一日一組限定ディナー。シェフの逸品が伝える、一途な“愛”
商都、高崎。交通の要衝は人も時間もせわしない。一方、流れゆく時間の中で地元や身近な者、当たり前の時間を見つめなおす動きがある。「リストランテ・パティスリー シムラ」のシェフ・志村克巳さんもその一人。彼の一途な“食”への愛は、確かにこの街で育った文化といえるだろう。皿の上に隠された、熱い想いを伺った。
2018.07.04
高崎の食 群馬の食
現代の“食”をみつめる
商都、高崎。交通の要衝は人も時間もせわしない。ついつい食の時間は商いの合間や移動の隙間へと追いやられ、“食卓”を囲む時間は少なくなった。もちろんそれは、高崎だけの話ではない。現代日本の時計は早回しされ、身近なものごと――親しい人との関係や、衣食住に代表される生きるための要素――こそ、疎かにされがちだ。
対して、食育やスローフードの広まり・郷土料理へのアプローチを始める人もいる。当たり前にあった時間を見つめなおし、当たり前の幸せを取り戻す。“言うは易く”…であり、各地方で行われる取り組みはまだまだ生活の中で“行い難い”ことだろう。「本当に大事なこと」と「実生活」の狭間で、私たちは考えなければならない。どう生きていくのかを。
地元の“食”をみつける
そんな中、高崎市新保町には一軒のリストランテが建っている。選び抜かれた新鮮な野菜と肉、魚。そして、一人の“食”を愛するシェフがいる。安中市出身のオーナーシェフ 志村克巳(しむらかつみ)さんは、新保町で11年、ひたすらに“食”への愛を語ってきた。新しい食にであう喜び、美味しいものを食べる喜び、毎日を生きる喜び…笑顔が絶えないシェフの、ラブストーリーを紹介しよう。
ロマンチックに始まった、食を愛するシェフへのインタビュー。
一日一組にこだわる理由とは何なのか…?「限定」に弱い編集長が取材します!
料理人の青春時代
“食”とであう
志村さんが“食”にであったのは学生時代のアルバイト。学生時代といえば 友情・部活・恋・勉強 と、心身共にエネルギーを使う成長期だ。「安中の田舎育ちで、今の時代みたいに色々なお店があるわけではなかったんですよ。」と話す志村さん。アルバイト先の料理を食べて驚いたという。
「実家は兼業農家だったので、お野菜とかは家の畑から取ってきた新鮮なものを食べていました。それでも…なんせ田舎ですので、素朴な料理を出す店が多かったんですね。お肉やお魚料理はこだわったものがなく、『いかにボリュームのある食事ができるかどうか』を考える年頃でした。そんな中、たまたまアルバイト先で食べた料理の美味しさは衝撃的だったんです。」
志村少年にとって、その出来事は並々ならぬものだった。「世の中にはこんなに美味しいものがあるんだ!」気が付けば食の世界にのめり込み、美味しいものを食べたいという気持ちは、美味しいものをつくりたい気持ちへと変わっていった。
自分の好きなものを、皆にも知ってほしい。食を愛する少年が抱いた想いは、料理人としての決意に充分だった。
料理とであう
そこから、志村さんの“食”をめぐる旅が始まる。飲食店でのサービス経験を活かし、ホテルの料理人見習いとして採用。厨房の先輩に基礎技術を教わった。その後はレストランをまわり、修業に打ち込む日々が続く。「自分が美味しいと思えて、これが学びたいと思ったところを転々としていました。」判断基準は自分の味覚だけだった。
勤め先のレストランが定休日となるたびに、お気に入りのお菓子屋さんへと出掛けて行ったという志村さん。食事でない分野へも積極的に関わった。「週一だけでも、スタジエ(見習い)として行っていいでしょうか?」熱意を認められ、ケーキやお菓子づくりを教えてもらった。まさに、休む暇を惜しんで食べ・学び。好きだからこそ、貪欲に飛び込んでいけた。
技とであう
「料理用語がわからず、フランス人にフランス語を教わりに行ったこともあります。」
今の穏やかなシェフからは想像できないほど、ワイルドな見習い時代のエピソードの数々。その多くは、体当たりで掴んだチャンスがほとんどだった。ここでは一つ、お気に入りの“たくらみ”を紹介しよう。
「魚の仕入れは(当時勤め先の)シェフが毎朝一人で市場に行くものでした。何とか付いていけないか。必死に考えたことがあります。最終的に、自分に与えられた(朝の仕込みの)仕事を早く終わらせて無理やり付いて行くことに決めました。『シェフ、明日迎え行きますからね』って。」
「市場では荷物持ちをしながら多くのことを学びました。魚の目利きはもちろん、和食や中華の料理人と出会ったり、技を教えてもらったり。知り合った人のお店に食べに行ったときには、仕込みの段階から教えてもらったりしてましたね。」
笑顔で話す温和なシェフの目が、少年の瞳のように光る。元々、サービスのアルバイトから入ったこの世界。まるで知らないことだらけで、技術もない料理人だった志村さんを突き動かしたのは、ひたすらに“食”への情熱だった。「好きなことを覚えたかっただけなんです。」というほどに、無我夢中で走り続ける日々…修業時代ではなく、青春なのだと心から思う。そしておそらく、その時と同じ顔で語ってくれているということも。
「僕は毎日、『ああ…もう夜になっちゃった』って思っていました。」
「そのまま、ついつい時間が流れて、今になってしまったようです。」
終始楽しそうにインタビューを受けてくれるシェフに、つられてニコニコしちゃう。
そんなフレンチなんです。(コワモテなシェフを想像していたのは秘密です。)
厨房の中でつくるもの
修業時代の厨房で
基礎を、そして思いのままに“食”を追いかけた5年間を経て、25歳にはソシエ(フランス料理のメインを仕切るシェフのこと)となった志村さん。厨房の指揮官として後輩を育て、仲間と共に切磋琢磨した日々を聞かせてくれた。
「コックさんの世界って厳しいイメージがありますけど、それだけじゃないと思います。どうしたらもっと美味しい物がつくれるか、進化していけるか…そういう話し合いの場にしたかったんです、僕は。修業だからと言って焦ることもないし、ずっと続けろってものでもないし…のんびりやればいいんですよ。もちろん今の店でも、1年2年はのんびり見てあげることにしています。」
「25歳過ぎの僕たちは、人それぞれのやり方を見極めることも仕事でした。プロとしてやるのには、結果をだせるかどうか。それを厨房で育てていくのも仕事なんです。」
当時はお店が次々と立ち、引き抜きもたくさんある時代だった。皆が皆、まだ見ぬ料理や技を求めて、自分の道をゆく。厨房は、仲間を、後輩を、そして自分をつくる場所だった。
リストランテ・パティスリー シムラとは
独立後にお世話になったテナントの店舗をたたみ、待望の「リストランテ・パティスリー シムラ」がオープンする。今から11年前、志村さんが41歳の頃だ。
忙しくキッチンを切り盛りしながらも、志村さんは自分の料理を模索し続けた。味はもちろん、素材の産地や種類…そしてお店のあり方を。「リストランテ・パティスリー シムラ」の特徴は、ランチは数組、ディナーは1組限定であること。真っ白なテーブルクロスには美しくセットされたシルバーとグラスが、落ち着いた風合いの棚にはワインが並び、静かにお客様を待っている。客席のすぐ隣には、手元の見えるオープンキッチン。包丁のリズムもフライパンの躍動も、至近距離で感じることのできる舞台にこだわった。
「記念日などの予約内容によっては、ランチでもお店を貸し切りにしてもてなすことにしています」と、マダム。美味しい料理を中心にシェフとマダムがつくりあげる「お客様だけの空間」は、志村シェフのお客様への向き合い方だ。真摯な想いを丁寧に、味に料理に変えていく。
一枚のお皿と一つの部屋
数多の飲食店が理想とするだろうお客様への向き合い方は、決して楽なことではない。事実、お店の維持のためにパティスリーの運営をはじめ、ケータリングや出張サービスも行っている。客一人にかける時間が短いほど売り上げが伸びていくのは周知の事実、それでも成し遂げたい想いがあった。
「若い頃の厨房はあまりにも忙しく、お客様も忙しかった。お客様の顔は見れず、美味しい料理も口に合わない料理も通り過ぎてしまうだけ。目の前で料理をしようと決めたのは、『美味しかったね』で終わらせないためなんです。」
今日はこの魚をつかいます、野菜はこの人が育てています。そんな話をしながら、シェフの料理は始まる。シェフが聴いた素材の声を聞くことで、自然と本来の味を楽しむ心が生まれてくる。ルーツを知り、想いに触れた後の料理は尊い命の結晶だ。
さらに、料理を支えるのがシムラの店舗。貸し切りの空間にも秘密がある。
「料理って、お皿の上だけで完結しないんです。さっと食べるだけのランチであればお皿の上だけで勝負してもいいと思うんですが、シムラでは空間も楽しんでもらう。ランチが15分で終わってしまうような忙しい日々を忘れて、心豊かな時間を過ごして欲しいんです。」
お客さまがワインを選べば、そのワインに合った火の入れ方をし、ソースをアレンジして調整する。ソムリエがするように、料理がお客様に合わせて変わる。食材トークもシェフの笑顔も、すべてが味をつくりだす。
33年間、料理と向き合い続けた志村シェフ。
厨房という“一番食に近い場所”にいたからこそ、速まっていく日本の食を変えたかった。
いまだ、その挑戦は続いている。食を好きになった者の、使命として。
自分のために用意された空間なんてなかなか体験できませんよね。
ここには、当たり前のようにあるんです。あなたの場所が。
まごころを込めて
シムラの味
最後に、これからのリストランテ・パティスリー シムラについて聞いてみた。
「お客様が食事をするときに、『こんな食材もありますよ』『この料理はいかがですか』と提案できるレストランがいいですね。そして何より、シムラの味をお客様の日常へ入れて欲しい。キッシュなんかは家庭料理のメニューですし、タケノコやタラの芽などの“和”の食材も多く使っていますから。美味しいものを食べた時って、自分だけの秘密にしようとしても教えちゃうでしょう?そういうお店であり続けたいですね。」
さらに、マダムからはこんな話も。
「シムラでは、季節の味を大切にしています。今は年中、好きなものが食べられる時代ですが…季節ごとの旬の味を楽しみにするのもいいと思うんです。美味しかった、次の季節も楽しみだって思っていただければ嬉しいです。」
食と共に歩み続ける志村シェフとマダム。決してブレない熱い想いを聞かせてくれた。
高崎の味
そして何より、志村シェフの集めてきた美味しいレシピの数々は、群馬県で、高崎市で育まれた食の記憶と呼べるだろう。きっと、フレンチに慣れていない人でも、ふるさとの味を感じるはずだ。
「料理人を始めたころ、皆さんで言えば就職したての頃って、自分の力で稼ぐことは難しいじゃないですか。先輩が稼いでくれて、必死に追いつこうとして。料理もそうなんです。昔の人たちが確立していったテクニックや味があって、今の僕がある。だから次は、伝えていくことだと思います。分量でも味でも、聞かれれば教えますね、僕は。」
高崎の味をつくっていくこと、伝えること。今、リストランテ・パティスリー シムラには志村シェフの娘・華菜さんが修業をしている。親子として、料理人として、伝えていく想いがある。
「世の中に広まっていくことは悪いことじゃありません。むしろシムラの味を知ってもらえればいいじゃないですか。もちろん、自分はそれを越えていきますよ。今日が一番、これからの人生で若い日ですから。」
まだまだ負けません、と笑うシェフの瞳は変わらず輝いていた。娘と立つ厨房、決して終わることのない“食”とシェフとのラブストーリー。これからも、一途に追い続けるのだろう。
美味しいカタチの愛情が、私たちの街の味になるまで。
リストランテ・パティスリー シムラ
住所:群馬県高崎市新保町251
電話:027-362-9222
営業時間:ランチタイムは12:00~15:00、ディナータイムは18:00~22:00(LO.20:00)
パティスリーのみ、月曜日定休(営業時間は11:00~19:00,日曜日のみ10:00~18:00)
この記事に関連するメンバー
西 涼子
どうも、こんにちは!
群馬県でフリーのライターをしている西(編集長)です!
地域を盛り上げる力は市民から!ということで、
イチ高崎市民の目線から、高崎市の魅力を発信しています。
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