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高崎市通町、歩いて見つける高崎の魅力。“修業中”のミムさんに聞く。

個性的な飲食店がひしめく高崎市の通町横丁。27歳のオーナー・三村勇樹(みむらゆうき)さんのお店はそこにある。“若き高崎人”に、“地元”高崎はどう映っているのだろうか?子供の頃は自分を育ててくれた街を、大人の自分が育てていく…そんな地域への“恩返し”の話を聞いてみた。

2018.07.29

高崎で育つ

地域で育つ子供たち

幼いころに遊んだ公園、学校までの通学路。大人になって振り返るような“ふるさとの街並み”をあなたは覚えているだろうか。

近年では少子高齢化の波が県外への人口流出を呼び、地元で暮らさない・暮らせない人が増えているという。鮮やかで楽しい子供の頃の光景は思い出のままとなり、人のいない街並みだけが寂しく時代に取り残されている。

高崎市は地方都市ながら人口が37万人を超え、中核市として成長を続けている街だ。県外だけでなく県内からの人口流入も増えており、群馬県の中でも「高崎市で暮らす」ことは魅力的なのだと教えてくれる。遊びに来る、仕事で来る…そんな少しの滞在でも、高崎を楽しむ人が増えてくれればと心から思う。

しかしながら、生まれ育った高崎市から出ていく人々も少なくはない。夢のために生活のためにとふるさとを離れていく大人たちの心に、ふるさと高崎はどう映っているのだろうか。

地域を育てる大人たち

今回は、高崎市で育ち高崎市で暮らす“若き高崎人”に意見を聞くことができた。インタビューに応じてくれたのは、平成生まれの居酒屋店主。個性豊かな飲食店がひしめく通町横丁の「修業中-1st-」オーナーである三村勇樹(みむらゆうき)さんだ。

かつては群馬県の第一次県庁舎も置かれていた通町がふるさとだという三村さん。Uターンで戻ってきた彼に、“地元”高崎はどう見えているのだろうか。

「子供の頃は自分を育ててくれた街を、大人の自分が育てていく」…そんな地域への“恩返し”について、話を聞いてみよう。

高崎生まれ高崎育ちの三村さんと「修業中-1st-」の紹介です!

オープン1年は「入店でドキドキしてほしいから」HPをつくらないとのこと…そういうの、好き。

生き方としての“修業中”

「修業中-1st-」

夜の高崎を歩く。通町のお寺・大信寺と高島屋に挟まれた道からみえる、タペストリーを読んだことがあるだろうか。ライトアップされた「伝えたいことがあります」の文字。つられて細道を入れば、手ぬぐいを頭に巻いたひげ面の男が腕を組むロゴが見える。三村さんのお店「修業中-1st-」はそんな面構えをしている。

一見、ラーメン屋のような雰囲気と居酒屋と書かれていない店舗に訝しむ人も多いだろう。中に入れば、ムーディーなバー空間と明るく落ち着いた和食空間、そしてなにより笑顔の素敵な店員さんが迎え入れてくれる。高崎市の中で、今、最も熱い居酒屋の一つだ。

お店のイチオシは能登半島から仕入れる海の幸。“その時に取れた、いいものを”漁港から直接届けてくれるというだけあって、海がしけていたり台風が来たりすることで魚が届かなくなるハプニングもあるという。

「能登半島の字出津(うしつ)港では定置網漁をしているんですが、海がしけるだけで一週間魚が届かないこともあります。そこに自然の醍醐味を感じて…想像しながら食べるのも面白いと思っています。」と三村さん。高崎にいながら海を、自然を感じてほしいという。

メニューは和洋中と幅広い品揃え。同い年で和食の料理長を務める久保田さんと、洋食担当の三村さんの合わせ技だ。魚も肴もよりどりみどり…というわけで、お酒も様々にこだわれる。カウンター後ろにキープされたボトルは皆個性的で、お客さんに合わせたスタイルで楽しめることが伺える。

店主の三村さん(愛称はミムさん)が飲食業界に入ったのは、幼いころに度々遊びに行ったおばあちゃんの家がきっかけだ。吾妻の田舎でコンビニを経営するおばあちゃんの家は、毎日が宴会状態。揚げたての天ぷらがふるまわれ、熱燗とお喋りで花が咲く。美味しい食事とお酒と笑顔。居酒屋という文字も知らないころに、将来の夢を決め、今の店舗につながっている。

修業中、誰が為に

今年の冬でオープンしてから一年の「修業中-1st-」。開店当初は店名に対し批判もあったという。

「修業してからお店を出せ、という意見もありました。それもすごくわかる。でも原点に返ったときに、修業を越えた人が、いるだろうかと。これはたぶん飲食以外もそうです、人間関係も恋愛もそう。」

「みんなスパイラルの中で生きていると思うんですよね、だから必ず落ちた時に修業が必要になる。(必要なのは)精神面の修業であり、研究し続けることであり…だから僕たちは修業中と言っています。」

修業を終える時などない、常に研鑽あるのみ――そんな想いを伝えたいから「修業中」なのだと、熱く静かに語る三村さん。その名乗りは戒めであり励ましであり「愛」だという。伝えたい人は、夢のある人、頑張るあなた、そして若者の君。

「夢を持っていても動けない現社会というのもありますが…でも僕は動いたよと、ちゃんと1対1で話して伝えられる店舗にしたいんです。」

だからこそ、あえて“修業”をする自分の姿を見て欲しい。その姿は「若者に向けたメッセージ」だった。

 

まだまだ若い三村さん。一体なぜ、夢ある若者を想うのだろうか。

本記事では「修業中-1st-」ができるまでの“ミムさんの修業人生”を振り返る中に、その答えを見つけ出したと言えるだろう。もしかすると、三村さんの想いはこの記事を読むあなたの心に灯をともすかもしれない。

まるで聖火のように受け継がれてきた「未来への想い」をお伝えしよう。

ロゴマークの男、実は笑っているらしいですよ。

大胆不敵、ぶっとんだミムさんの人生を追いかける準備は、できましたか?

 

修業中のミムさん

人生の先輩に

三村さんが“修業”を始めたのは18歳の時。業界最先端の東京に出て飲食店を20店舗あまり、レストランから中華料理屋、定食屋にバーまで多種多様な店を経験するところから始まる。

「18歳、上京したてですぐ挫折がありました。」と語るのは、衝撃的な経験談。夢を抱いて上京した先で、三村さんはホームレスになった。

「飲食始めた時から、逃げることをやめました。そのせいですかね…3か月間ホームレスとして上野公園に暮らしていたことがあります。上京したてで身体を壊して働けなくて…変な強気の気持ちがあって親にも頼れなかったんです。」

学生時代、野球、水泳、空手、格闘技…と多くのスポーツをしていた三村さん。無理をしたツケは上京後の身体に現れた。重いヘルニアに苦しむことになり、厨房にも立てない有様。気持ちだけが強がっていた18歳の少年は、初めて段ボールの上で寝ることを経験する。その固さや冷たさに、涙が出た。

「変な話、ホームレスにもリーダーがいて…梱包用のプチプチが段ボールの下に引いてあるんですよね、そこだけ。僕がヘルニアで痛くて泣きながら座っているとき『僕の箇所にこないか』って話を聞いてくれたのがリーダーでした。」

「『若いんだからこうなっちゃだめだ』『飲食を絶対にやりたいって言うんだから、君は伸びるよ』と僕をどん底から引き上げてくれた人でした。的確なアドバイスをくれて、今があると思っています。」

実は、リーダーと呼ばれる“先輩”はとある大企業の社長さん。東京の街で、三村さんのような若者が道を間違えないように…その一心で活動をしているという。上京したての三村さんへ、リーダーは「自分もそうだった」と話す。初めて社会に出た少年の心に、人生の先輩の言葉が響いた。

「リーダーも過去に、会社を6つくらいつぶしたり…色々な失敗があったと言っていました。そして、その時に同じように励ましてくれる先輩がいたと。次は僕がその想いを受け継がないと、と思っています。」

答えをさがして

そうして、自分の店という夢に一歩ずつ進んできた三村さん。店舗による接客の違いに戸惑った時も、魚がさばけず毎日100匹以上捌いた日々も、リーダーの言葉が支えてくれた。そしてなにより、同期を、後輩を支えることも忘れなかった。いつでも店を開ける心積もりはできていた。

「それでも正直、東京でお店を出すか高崎でお店を出すかは迷っていました。東京に住みながら一週間に一度は帰ってきて、行きつけのバーでマスターに相談していましたね。」

その中で、再び人生の先輩の言葉が三村さんを勇気づける。

「マスターに『どうしたほうがいいだろう』と相談すると『勇樹は絶対に東京には染まらない』『必ず群馬でやるよ』と言ってくれたんです。飲食の原点かつ恩師のマスターに言ってもらえることは嬉しかった。」

今だに「なぜそんなことを言ってくれたのか」と不思議に思うこともあるという。店から見える通町の風景に、記憶の中のふるさとを重ねた。もしかしたらと思う答えが、浮かんでくる。

「僕は高松中学校出身なんですが、子供の頃はこの通町の道をよく通りました。やんちゃ坊主だった僕が隠れて悪さをすると、地域の大人が叱ってくれるような…そんな素敵な街でした。だから、自分が大人として通町で商売をする今。自分の地元で若い子たちを叱れる立場になりたいと思うんです。」

ああ、だからマスターは…と思わせるような、そんな一言だった。三村さんの中には、人生の先輩たちの生きた想いが受け継がれている。様々な人に支えられて三村さんがつくり上げた場所は、おばあちゃんの家のようにみんなが笑顔になれる空間であり、リーダーのように若い人を導ける店であり、ふるさとの風が吹く地域なのだ。

リーダーもマスターもかっこいい…!と盛り上がってしまう編集長。

大人って、地域って、こうしたあったかいものなんだと思います。

高崎人として

励み励まし修業中

最後に、今後の「修業中-1st-」について聞いてみた。
「1stと付けたので、お店は増やしていきたいですね。名前は変わっても、どんどんと番号を増やしていきたい。ユーモアな話をすれば「修業後」という店を出してみたいですね。畑で野菜を作って、魚を釣って…修業後、なんて想像できないんですけど。」

「修業中-1st-」は高崎に合わせて、その姿を変えていくだろう。三村さんは「高崎が僕を変えてくれるのに応えて、高崎を変えていきます。」と言ってくれた。大好きな街並みの中で暮らすということは、互いに影響を与えあい、より良い暮らしを求めることなのかもしれない。

「お店を出したことで、同年代の夢をもった飲食業界の人たちと知り合うことができました。今はそんな仲間と共に、高崎を盛り上げていこうと語り合っています。今のお店は、そんな『高崎を変える!』という方をサポートするのが役目。明日をまた頑張れるように、元気になれる場所を作っていきます。」

夢ある高崎の若者と共に成長していくという三村さん。ひな鳥を羽ばたかす親のように頼もしく、まだまだ高い空を飛ぶ高崎人を目指して、今日も店を開ける。修行をしなければ、できなかった絆。高崎に暮らす仲間だからこそ、語れる夢。平成生まれの高崎人たちは、街を変えるために動き出している。

次は、あなたが動く番かもしれない。

 

通町を歩いてみれば

夜の高崎を歩く。若者が多い駅前から、少し横道を通れば…そこには人生の先輩が待っている。その心に、あなたへの想いを燃やしながら。街の未来を、託しながら。

「僕が初めて一番を取りたい、と思ったのが飲食業でした。自分だけでなくて、全員が一番を目指して欲しいと思っています。そうすれば、食べ歩きも飲み歩きも…どこもが一番を目指しているんだから美味しいし、嬉しいですよね。高崎の街が一つのお店で1万円使う街よりも、3店舗で3000円使う街になってほしいです。」

この街が、この街の人が好きだから――という言葉は、聞かずとも伝わってくる。そんな三村さんの表情だった。紹介したいのは僕の店だけじゃないですよ、と言うように高崎にはまだまだ、魅力的な店や人がたくさんある。ぜひとも、あなたの目で確かめて欲しい。

それでも道に、人生に迷ったときは“修業中のミムさん”を訪ねてみよう。きっとそこで、道を照らす明るい炎を分けてもらえるから。

「修業中-1st-」

住所:高崎市通町140-13
電話:027-388-9754
定休日:水曜日

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この記事に関連するメンバー

西 涼子

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群馬県でフリーのライターをしている西(編集長)です!
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イチ高崎市民の目線から、高崎市の魅力を発信しています。

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