高崎市石原町 和楽器が奏でるこのまちの音楽 真に世界から愛されるまちづくりを考える
今回は「三味線」「尺八」「民謡」を愛する高崎市のミュージシャン・松本梅頌さんにお話を伺った。松本さんが演奏を通じて世界中へと伝えたい「和楽器のメッセージ」とは何だろうか。和楽器と高崎、高崎と世界の話を聞きながら、「真に世界から愛されるまちづくり」について考えてみるとしよう。
2019.07.08
ワールドミュージック
高崎と世界
196か国の中の日本、47都道府県の中の群馬、35市町村の中の高崎。普段は意識しない人も多いかもしれないが、私たちの暮らすまちは大きな世界の中の一部である。日常の風景から少し視点をずらし、他地域の暮らし方や異文化に触れる機会を持つと、毎日の暮らしも変わって見えてくる。文化、産業、高崎ならではのまちの雰囲気……グローバルな視点でこのまちを見た時、変わらない価値はどこにあるのだろうか。言葉のいらない“高崎で暮らすことの良さ”について、考えてみるとしよう。
梅若流大師範 松本梅頌
今回、こうしたグローバルな視点を提案してくれたのは、「三味線」「尺八」「民謡」といった和楽器の音色を高崎のまちから世界へと届けるミュージシャン・松本梅頌(まつもとばいしょう)さんだ。日本国内・世界各国で積極的な演奏活動を続ける彼は、音楽を通じて様々な“想い”を伝えることを自らの務めとしている。
ワールドミュージックを愛する松本さんの「和楽器と共に歩んできた道のり」、「これからの挑戦」についてお話を伺いつつ、「音を通じて伝えたいメッセージ」について語っていただいた。“音楽のまち、高崎市”―― 言語や人種など様々な壁を飛び越える力をもつ“音楽”文化の根付くこのまちで考えたい、「真に世界から愛されるまち」づくりの話を聞いてみよう。
「音楽のまち、高崎」ならではの、和楽器の演奏から始まるインタビュー!
様々な人が暮らす高崎で“言葉のいらない”魅力探しが始まります
音のつばさ
民謡との出会い
まずは、想像してみて欲しい。
鋭い音を響かすバチが特徴的な津軽三味線の力強さ。
和の木管楽器・尺八の神秘的な音色。
暮らしの喜びを歌う民謡を、素朴な音色で奏でる伝統的な三味線の音の柔らかさ。
高崎で暮らす和楽器演奏者の松本さんは、和楽器の演奏を通じて「日本人の中に受け継がれてきた想い」を伝えるミュージシャンである。彼の演奏スタイルは、“和楽器”という伝統の枠にこだわらないもので、「尺八でアメイジンググレイスを演奏する」「異なる文化の楽器・演奏者とコラボレーションする」など、ワールドミュージックに対する造詣も深い。まずは、そんな松本さんが和楽器を始めたきっかけについて質問してみるとしよう。
「楽器を始めた理由は、そんなにカッコよくなくてね。僕は20代の頃、東京の会社で営業の仕事をしていました。『営業成績を上げたいな、人と違うことができるようになりたいな』と思っていた時、会社の先輩の実家に行っておじいちゃんおばあちゃんが歌う民謡を聞いたんです。大雪が降る田舎のお正月、皆でお餅を食べる中で民謡が歌われていて……『ええな、宴会でも使えるかもしれんな』と思った僕は、民謡を習うことにしたんです」
「ギターを弾いていたこともあって音感がよかったので、お稽古を続けるうちに三味線も習うようになりました。3年で師範になり、毎晩自分の弟子に稽古をつけたり、会社が休みのたびに演奏会に出たり。民謡ブームの影響もあって、かなり忙しかったですね。だんだん会社と演奏活動の“二足の草鞋”を履くことが難しくなってきて、会社を辞めました。32歳で辞めるというのは、大変なことでしたよ」
予想だにしなかった自身の歩みについて語ってくれた松本さん。当初は「仕事のために」と始めた民謡・三味線だったが、気づけば音楽の世界にはまっていた。30代、家族も増えたタイミングでの「会社を辞める」という決断には、大きな勇気が必要だったという。インタビューに同席してくれた奥さんは「そんなに仕事が大変なら、辞めたらって言ったんですよ」と笑いながら振り返る。家族の応援があっての音楽の道、だった。
「奥さんがそう(背中を押す一言を)言ってくれたのは、本当にありがたかったよ。あれから49年、三味線をはじめ演奏活動を続けています。今ではね、三味線を愛して弾く者の務めとして“想い”を伝えていきたいと思っていて……あまりメジャーな楽器でないからこそ、絶えず人前に出て聴いていただいたり、日本の伝統的な楽器のことや日本文化を好きになってくれてありがとうという感謝を伝えたりしています」
専門的な道へ進むこと、自らの力で夢に向かうこと――そうした時に大事になるのは、やはり「帰れる場所や人」の存在なのでしょうか
このまちも、「夢に向かって頑張る人たち」が安心して暮らせるまちであってほしいと思う編集長です
音が届ける想い
世界各国を周って“日本文化”と“感謝”を伝える演奏の旅を行う松本さん。彼の取り組みは、市内の子供たちに向けた和楽器の啓蒙活動や音楽イベントへの参加だけでなく、国内外の学校・障がい者施設への出張演奏など多岐にわたる。高崎のまちを飛び出し世界を舞台に活躍するわけと、“音の力”を感じたエピソードについて話を伺った。
「色々な国へ行きましたが、どの国にも『バスの乗り換えでお困りですか?』と親切にしてくれる人や、紋付袴で三味線を弾く僕に『日本が大好きなんです!』と言ってくれる人がたくさんいる。そういう人たちに『日本や日本の文化を好きになってくれてありがとう』とわざわざ言いに回る人はいないでしょう? だから僕は、そういう想いを伝えに、演奏をしたいと思っています」
「世界には日本人のお年寄りもいっぱいいて……日本に帰りたくても、帰れないという人もいる。そういう人たちに対して『今の日本を作ってくれて、ありがとう』という想いを伝えていきたいですね。僕が演奏した時、アメリカで暮らす日本人の100歳のおばあちゃんは泣いていました。ずっと我慢していた故郷への思いが、歌の力で自然と引き出されたそうです。音楽の力強さを感じますよね」
日本を愛する人たちに向けて演奏を続ける松本さん。「自分で行きたいところに行って、自分が伝えたい人に演奏したい」と自費で毎年訪問する施設もあるのだという。キレのいいトークの中に織り交ぜられた、“人と音へ向き合う真摯な想い”。音楽の翼を借りて、松本さんのメッセージは世界中へと羽ばたいていく。
「(冒頭で紹介した)伝統的な三味線と津軽三味線には真逆の“日本人の心”が込められているんですよ。伝統的な三味線は、前面に出ない控えめな音・誰かを支えて助ける音。津軽三味線は、「負けるな、オリジナリティをだして勝ちにいけ!」という強い音。2つを見て/聴いてもらうことで、日本人が大事にしてきた“優しさ・謙虚さ”と“強さ”が伝わるんじゃないかなと僕は思っています。特に海外で暮らす日本の子供たちに知ってほしいですね。日本人の心の中にあるものを」
タイプの違う2本の三味線で奏でる、日本人の心……!
きっとそれは、日本語を知らなくても、日本の景色を知らなくても、心に力強く温かいものを届けてくれるのだと思います。音の力、伝統の重み、ルーツを探すことの意味を教えてくれますね
視点を変えて
音楽のまち・高崎
続いて“音楽のまち、高崎”に関わるミュージシャンとして、松本さんに話を伺ってみるとしよう。まちなか、ストリートでの演奏も多い高崎市。広く深く音楽文化が根付いていくためには、どのような考え方が必要とされてくるのだろうか。
「今、このまちは『音楽のクオリティを高くしよう』『音楽で人を集めよう』と動いている。カッコイイ未来像を目指して進むぞ! というパワーが集まってきているのを感じます」
「ただ、そういった動きに付いてこられない人もいるでしょう。『まちなか中心のライブばかりで、聴きに来られない人』だったり、『ライブの演目にない、演歌や唱歌が好きなお年寄り』だったり。ワールドミュージックを愛する人や海外のミュージシャンもね。本当に国際的なまちづくり、全ての年代の市民のことを考えるなら、もっと音楽の幅を広げる必要があるんじゃないかと思っています」
ロック、演歌、ジャズ、童謡……音楽には地域や年代によって様々な種類がある。文化の担い手、まちづくりの担い手に多様性が必要な理由は、“置いてけぼり”の人たちをつくらないため、多様性を守るためだ。高崎のまちをつくる――そこには必ずあなたの目線が、あなたの力が必要となってくる。
「僕が今後してみたいこととして考えているものの一つに“みとり”があります。ミュージシャンでチームを組んでね、病室、施設、自宅に演奏をしに行けたらいいなと思っているんですよ。音楽のジャンルを分けずに組織を作れれば、色んな人の“好きな曲”を演奏できて、喜んでもらえるじゃないですか。“みとり”に限らず、まちなかのイベントに出てこられない人たちの元へ音楽を届けるチームができたらいいなと思います」
全ての人に、音楽を。年齢や人種で区別されることなく楽しめる、そんな音楽が息づくまちの未来について松本さんは話してくれた。「初めて会った人でも、その人の国の曲・好きな曲を弾けばすぐ仲良くなれますよ」という言葉が教えてくれる、音楽の力の大きさ。想いのこもった曲たちがこのまちを包み込めば、きっと“One for all, All for one”のまちの未来はすぐそこだろう。
世界の中の高崎
最後に、グローバルな視点をもって活動する松本さんに、高崎のまちに対する想いや考えを聞いてみた。「“音楽のまち、高崎”を進めていくミュージシャンとしては、変な話かもしれませんけど……」と話してくれたのは、音楽家でない私たちにもできるまちづくりの話。これからの時代に合わせた、“世界の中で暮らす私たち”の未来の話だ。
「僕はね、出身が奈良県で。親父から『学校を卒業したら、10年間は実家に帰ってくるな』といわれて東京で就職したんですよ。故郷は、甘い。あったかくて、やさしくて、物凄くいい場所。だからこそ、故郷から出て自分で社会をつくる経験をしてこいと言われたんだと思っています。今、高崎は『移住してきてください』『高崎に遊びに来てください』という人はいっぱいいるけど、“高崎が(≒高崎で暮らす人が、高崎にあるものが)外へ出ていく”ということが少ないんじゃないかと思う。『俺は一度高崎を出たけど、戻ってくるほどいいまちだぜ』って言えたらいいよな! 外へ、世界へ出ていくことが大事なんだと思います」
「それから、高崎で暮らす若い人へ。“住みよいまちづくり”なんてことばっかり考えずに、高崎のことばっかり見ずにいても良いんじゃないかと、僕は思う。もちろん、居場所はこのまちにあってもいいと思うんだけど……もっと世界の中で目指したい分野を見て、目標や未来に向かって進んでいくことの大事さを伝えたいですね」
「外国と日本という分け方も、もうない。『世界で、1つ』の時代だからなぁ」と松本さん。地域という枠組み、“音楽のまち”という決まったイメージにとらわれていては「真に愛されるまち」づくりには届かないと指摘する。
「いい音楽があるだけじゃダメで、音楽の流れている町の風景と、フレンドリーな町の人、活気のある商店街……全部含めて“いいまち”だからね」
国や地域、人種や年代といったすべての枠組みが重なり混ざり合う時代。偶然にも同じ“高崎で暮らす”私たちがつくる未来は、どんな風景をしているだろうか。
広い目線で、無限の可能性を目指して“暮らしを楽しみあう”こと――それこそが、このまちを包む極上の“音楽”なのかもしれない。
この記事に関連するメンバー
西 涼子
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群馬県でフリーのライターをしている西(編集長)です!
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イチ高崎市民の目線から、高崎市の魅力を発信しています。
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