高崎市上和田町 歴史を紐解き、今を知る――「高崎わたしばなし」への想い
高崎市上和田町『株式会社有花園』代表・亀田さんへインタビュー。“まち・ひとの歴史”に焦点を当てた地域活動『高崎わたしばなし(YouTube動画)』についてお話を伺った。このまちで「楽しく・豊かに・幸せに暮らす」方法とは何か?「高崎の歴史」にヒントをもらいながら、未来の暮らしについて考えてみよう
2020.02.07
高崎市と歴史
暮らしの中の歴史
歴史と共に歩むまち、高崎市。このまちの風景からは、多くの高崎人の軌跡を感じることができる。
まちのシンボル『高崎白衣大観音』をはじめ、『君が代橋』や『高崎市城南野球場』は市民の手によってつくられた建造物として有名だ。「商人のまち」「交通の要衝」といった地域性も「まちと人の歴史」抜きには語れないものであり、文化・暮らしのスタイル・特産品といった“今”の暮らしの要素もは地域の“過去”と繋がっている。
高崎のまちで暮らす私たちの人生は、このまちの歴史となっていく。
『株式会社有花園』
高崎市上和田町。明治元年(西暦1868年)創業の老舗生花店であり、地域の人々に愛されるまちの花屋さん『株式会社有花園』へとやってきた。社長の亀田慎也(かめだしんや)さんは“まち・ひとの歴史”に焦点を当てた地域活動を行っている高崎人。ローカルメディア『高崎わたしばなし(YouTube動画)』の活動を中心にお話を伺った。
仕事や地域活動を通じて「人生や地域を豊かにするためのお手伝いをしていきたい」と取材を引き受けてくれた亀田さん。このまちで「楽しく・豊かに・幸せに暮らす」ためにできることとは何だろうか? 歴史にヒントをもらったという亀田さんのお話を聞きながら、私たちも「未来の暮らし」について考えてみよう。
“高崎の文化”である映画や音楽などの芸術も、かつての「高崎で暮らす」人々と共に発展してきた背景を持っていますね。このまちで暮らす私たちが持つ、過去とのつながり……歴史を紐解く冒険が始まります!(壮大)
まちをしる
有花園の歴史
今年で創業152年目を迎える『株式会社有花園』。6代目の社長を務める亀田さんに、まずはお店の歴史と自身の紹介をしていただいた。
「当社の創業は明治元年。戦争時や高度経済成長期など、その時代に合わせた“花屋”の仕事をしていたようです。1代目の時にはお店の近くで苗木や盆栽を育てて売りに出ていたそうですし、2代目の時には高崎の絹産業でお金持ちになった方々の庭づくりを生業としていました。私の父が5代目を務めていたバブルの時代には、冠婚葬祭もかなり派手になってきていて、小売りだけでなく法人関係の花需要に対応するようになったり。簡単にお話すると、これが『株式会社有花園』の歴史となります」
「『令和の新しい時代、どうなるのか! 』といった6代目が私ですが、今の時代は、花屋さんで扱う花の量や種類がかなり増えて需要が多様化してきたなと感じています。一方で、今までの住環境――家庭にお仏壇があって、週に1回は花を買いに来ていたという習慣がだいぶなくなってしまいましたね。子供たちが花を買いに来る機会も少なくなったんじゃないでしょうか。花売り場はスーパーに移ったり、ガーデニング専門店ができて分業が進んだり。小売店としての花屋の存在意義も変わりつつありますね」
長い年月をかけ、多くの人々によって手渡されてきた歴史のバトンを受け取った亀田さん。意外なことに「家業を継ごう」と思ったのは大学卒業後なのだという。
「私自身は大学進学をきっかけに東京へ出まして、スポーツ用品店と父が紹介してくれた花屋でアルバイトをしていました。その時も花屋になるつもりはありませんでしたが、花との付き合いは続いていましたね。卒業後はアルバイト先で知った花市場に就職。今の花屋を継ぐことに繋がっていきます」
「花の市場には『産地まわり』といって生産者のもとへ伺う仕事があります。生産者の方に出荷のお願いをしたり、今年の出来栄えを聞いたり……いろいろお話を聞く中で『花って面白いな』と思うようになり、家業を継ぎました。デザインとしてでなく、農業・生産の方から興味が出てきた花の世界。今の店舗でも、週に数度は直接生産者のもとに伺って花を仕入れることがこだわりです」
家業を継いで、23年目。亀田さんは、自身のルーツから切っても切り離せない“花”の存在と共に暮らしていると話をしてくれた。このまちで営まれてきたお店の歴史と、家族の歴史。私たちの未来は、こうした「歴史」の流れが合わさって形作られてゆくのかもしれない。
語り継ぐ物語
続いて、亀田さんの地域活動『高崎わたしばなし』について紹介していただこう。『高崎わたしばなし』は、この街で活躍されている方々のインタビューを1編15分にまとめたYouTube動画。亀田さんの企画・司会進行で、このまちの歴史・このまちで暮らす方々の歩みを生の声で聴くことができる。亀田さんの取り組みの目的、またインタビューから気が付いたことなどを教えてもらった。
「『先輩方の話をアーカイブしたい、インタビューしたい』と思った原点は、寺島実郎さんの『1900年への旅―あるいは、道に迷わば年輪を見よ(新潮社, 2000)』という本を読んだ時でした。明治維新や新選組といった華やかな話はよく耳にすると思いますが、この本は20世紀に活躍した人たち1人1人の人間模様を丁寧に取り上げています。読んだ時、私は個人がもつ“歴史のヒダ”のようなものに触れることは『自分が何者であるか』や『これからの未来をどう考えるか』といった問題のヒントとなるような気がしました。人は生きている限り死にますから、『あの時話を聞いておけばよかった……』と後悔しないように、ライフワークとして話を聞き始めたんです」
「『高崎わたしばなし』は『上州テレビ』が制作会社で、共感してくれた方をスポンサーにして続いています。今は41話、なかなか大変ですが、意義ある活動だと言ってくださる方もいらっしゃいます。自分の目に見えている事象というのは、本当にわずかなものですからね。その裏にあるもの(歴史、想い)をどれだけ自分の中に取り込んでいけるかが、大切だと感じます」
インタビューの構成はシンプルに「子供時代の話」「業歴紹介」「未来の高崎市民へのメッセージ」と分けられている。打ち合わせでは内容を決めすぎずに、柔らかな雰囲気のまま「生の声・佇まい・リアルな記憶」を記録していくと亀田さん。10年後、20年後に見た人にも“人柄や時代の雰囲気”が伝わるように気を付けているポイントなのだという。
「皆さんの『子供時代の話』は、今の私たちにとって貴重な『高崎のまちの話』でもあります。その中でも特に印象的に感じたのは、戦後の混乱期や貧しい時代でも“希望”というか……へこたれない精神力がすごいことですね。群馬交響楽団の風岡先生にお話を伺ったとき、今90代の彼女は戦争が終わった頃は20歳で、焼け野原の東京から高崎へやってきたそうです。『自分のピアノは弦しかない』という絶望的な状況の中で、『高崎というまちにピアノがある』と聞いて一目散にやってきたのだと。空襲の被害が少なかった高崎市では車も走っているし、電気は通っているし、『なんて大都会なんだと思いました』と語ってくれました。そこにはリアルな20歳女性の姿があって、その時代にいた人にしかわからないことがわかる。お話を聞けて良かったなぁと思う瞬間です」
「また、人の記憶だけでなく場所の記憶を伝えていくこともテーマにしています。例えば、このお店がある上和田町はですね、高崎城が和田城と呼ばれていたことに由来がある古い町なんですよ。どちらかと言えば武士が住んでいた場所で、商人が集う商店街もあって――「昔の人はどんな暮らしをしていたのか」を問うことで、地域のことがわかってきたりします。“場所には記憶がある”、そういう面白さを伝えていきたいと思っています」
「ぜひ上和田町で暮らしてみてください。おすすめですよ」とにこやかな笑顔でまとめてくれた亀田さん。地域の歴史を紐解くことは、今の暮らしを理解することにもつながっていくんですね
まちをつたえる
花屋として
インタビューの最中も、地域の人々が立ち寄りおしゃべりする様子がみられた『株式会社有花園』。亀田さんが店舗で行っているという“伝える活動”についてもお話を聞いてみた。月に2度、店頭で発行しているという情報紙『yucca』の活動と合わせて、伝えることの意義について語っていただいた。
「世界の中で、一番バラを作っている国ってご存じですか? 実はインドなんですよ。インドで花と言ったらバラというくらいメジャーで、世界で流通しているバラの大半を栽培しているんです。それから、今はケニア・コロンビア・エクアドルでもバラづくりが盛んで、特にケニアでは大きな美しいバラが育つそうです。温かく風の吹かない気候と、物流技術や栽培技術の進歩のおかげだとか――こうした知識に触れた時、『へー、そうだったんだ!』と心が動くのを感じませんか?」
「私が大切にしているのは、こうした知識に触れることで得られる“豊かさ”です。ケニアに対して『超暑くて、生活水準がまだまだ整っていない国』だと思っていた人が、花の豆知識を通じてケニアの美しい自然を知ったり、技術の高まりを知ったり。自分が持っていた価値観をひっくり返されるときの気持ちのふくらみを、花屋として提供できないかと考えてミニ情報紙『yucca』を出しています。もちろん、話題は花だけじゃありません。世界のこと、季節のこと……色んな方に興味を持ってもらえるような工夫をしています」
遠いケニアの暮らしを想像することが、私たちの暮らしを豊かにする。突拍子もない話のように思われるが、亀田さんの情報発信にはそんな想いが込められているように感じる。歴史も知識も想像力も、私たちの知らない光景を見せてくれる力を持っている。私たちがこのまちの暮らしをより楽しむためのアイディアを、与えてくれる。
「東京のコンビニでは、地域のおばさんと外国人の店員さんが仲良さそうにおしゃべりしている光景をよく見ます。群馬ではなかなか見ませんが、そうしたグローバルな関係づくりのためにも色んな知識や価値観に触れることが必要なんじゃないでしょうか。雑多な知識や豊かな感性を持つことの大切さを、伝えていく――花屋に限った話ではありませんが、こうした小さなアウトプットを続けていくことで、周りの人の幸せにつなげていければと思うんです」
続々出てくる「目から鱗」の話。原点にある「好奇心」を忘れずに、日々新たな発見にトキメキたいものですね!
高崎、わたしばなし
YouTube動画『高崎わたしばなし』のインタビューは、十人十色の「未来の高崎」を想う言葉で締めくくられている。世代を超えて語られる“まちへの想い”が私たちの胸を打つのは、同じ景色の中で暮らす仲間だからだろう。このまちをより良く、楽しむために。亀田さんにも、「これからの高崎のまちへ想うこと」についてお話いただいた。
「インタビューをする中で、皆さんこのまちを『人と人の仲が良いまちだ』とおっしゃいます。出る杭を打つ大人もおらず、若い人も活発で、行政と市民の距離も近い……そんな高崎の良さを、よく表している言葉だなぁと感じます。そんなまちに私ができることは『仲の良いまち』を守ってゆくことでしょうか。このまち・ひとの歴史を伝える活動を続けたり、地域活動を後押ししたり。例えば、近年はお祭りに参加しない若い世代も増えていますから、意識的に声をかけて地域がうまく回るようにしてあげられればいいですね。小さい子供たちにとって、地域行事に参加したという『地域の思い出』は『自分自身のアイデンティティ』になりますから。将来は県外や外国で働く子が、ふと祭囃子を聞いた時に思い出せるような地域づくりをしていきたいと思います」
「ぜひ、皆さんも『楽しく・豊かで・幸せに暮らす』ことについて考えてみてください。他の人の意見を否定せず、皆で話し合って、ね。私自身『花屋としてできること』や『花や緑を通じた、人生を豊かにするお手伝い』についてよく考えます。歴史に学ぶことや先人の話を聞くこと・色々な知識に触れて考えることは、今生きている人だけでなくかつての人達も含めたすべての人たちへのリスペクトに繋がっていくのではないでしょうか。人あっての地域、人あっての暮らし。まちづくりの根幹は、人と人との関係の中にあると思いますよ」
歴史という長い帯は、かつての命と今の命……そしてこれからの命をつなぐ緒のようである。地域の中で様々な世代同士が、年齢や時代を超えて互いにリスペクトしあう関係をつくること――それは『高齢者に優しく住みよいまち』や『子育てしやすいまち』をつくってゆくことと変わりない。
元号が変わり、令和となった今。私たちはどう共に生きてゆくか。
自分自身を巻き込む大きな歴史の流れを意識しながら、これからの高崎をつくっていこう。
株式会社 有花園
本店
住所:高崎市上和田町8
電話027-322-4875
この記事に関連するメンバー
西 涼子
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群馬県でフリーのライターをしている西(編集長)です!
地域を盛り上げる力は市民から!ということで、
イチ高崎市民の目線から、高崎市の魅力を発信しています。
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