高崎市八幡町 地域のお寺が紐解く歴史、風景と暮らしの物語
高崎市八幡町の『大聖護国寺』にて、54代住職を務める飯塚さんにインタビュー。美しい枯山水庭園の景色と共に、地域の歴史と暮らしについてお話を伺った。
2021.05.21
地域の景色と物語
高崎市の風景
「高崎市の風景」の中で、あなたのお気に入りの場所はどこだろうか。
自然豊かな地域を想う人もいれば、人や物の交流が盛んな市街地が好きという人もいるだろう。また高崎らしい場所――榛名湖畔や高崎白衣大観音、達磨などの名産品を代表する風景を選んだ人もいるのではないだろうか。
いずれにせよ、それらの美しい風景には街の魅力があり、歴史があり、想いがある。
似た風景はあれども、高崎だからこそ愛おしい――そんな「物語ある風景」が心に浮かんだはずだ。
『大聖護国寺』
高崎市八幡町は、わが街の寺社仏閣とゆかりある地域の一つ。国道18号から見上げる丹塗りの大鳥居をくぐれば『上野國一社八幡宮(こうずけのくにいっしゃはちまんぐう)』と『大聖護国寺(だいしょうごこくじ)』が現れる。
今回は『大聖護国寺』の54代住職を務める飯塚秀譽(いいづかしゅうよ)さんへインタビューさせていただいた。2021年春、美しい枯山水庭園がオープンしたばかりのお寺からは、どんな景色が見られるのだろうか。
住職が語るお寺と地域の物語を聞きながら、美しい風景と暮らしの繋がりを探してみよう。
高崎市のパワースポット・八幡町♪
地域の歴史を紐解きながら、暮らしの風景を楽しんでみましょう!
縁
お寺の歴史
草木の擦れる音、小鳥の鳴き声、そして学校帰りの子供たちの笑い声が聞こえる『大聖護国寺』の枯山水庭園『桂昌庭(けいしょうてい)』。特等席の縁側にて風景を眺めつつ、まずは住職の飯塚さんにお寺の歴史をご紹介いただこう。
「『大聖護国寺』の開山は鎌倉時代の健保4年(1216年)、200年前(957年)に創建された敷地隣の『上野國一社八幡宮』の神様を守るためにと建てられたお寺です。“神社のためのお寺”と聞くと不思議に思われるかもしれませんが、明治時代の神仏分離政策が行われるまで、日本は“神仏習合”の時代。八幡町も神社とお寺が双方一緒に地域で求められた歴史がありました。神社とお寺のある小高い丘の八幡町……今風に言えば“パワースポット”な地域だと思います」
「私は『大聖護国寺』の54代住職で、先代住職の父から7年前にお寺を受け継ぎました。父は他のお寺も管理していたため、『大聖護国寺』は無住(住職がいない)のお寺でした。今は本堂・客殿・庭園がありますが、数年前までは本堂と古い家屋がポツンとあるだけ、地域の檀家さんがお正月の挨拶に訪れるだけのお寺だったんです。正面門を閉ざしたまま、地域に知られていない場所でした」
お寺の成り立ちと今までについて語ってくれた飯塚さん。“寂しいお寺”だったという数年前は、地域の人が訪れる機会はなかったという。ところが今は、立派な客殿や庭園があるだけでなく、地域の方々で賑わうイベント・講座の開催も行われている。お寺や神社に馴染みない暮らし方も増える中で、どのようなきっかけが“お寺の風景”を変えたのだろうか。
地域へひらく
「お寺の改修もお庭造りも、きっかけとなるのは7年前の出来事ですね」と振り返る飯塚さん。『大聖護国寺』が地域へ開かれるきっかけとなった“ある発見”についてお話いただいた。
「『大聖護国寺』の住職になった7年前、私は『檀家さんが法事の際に食事を取れる場所を作ろう』と本堂の改修と客殿の新築を検討していました。その時古い納戸の奥から見つかったのが、手足がバラバラになった仏像です。その数全部で2000パーツ……あまりの多さに一時は頭を抱えましたが、文化的にも歴史的にも価値があると考え、全部で36体の童子像を修復することに決めました」
同地域のお坊さんに仏師さんを紹介してもらい、大規模な修復事業が始まった『大聖護国寺』の仏像たち。その事業がきっかけとなり、知られざる歴史が明らかになっていく。
「バラバラになったパーツを洗浄し組み合わせ、欠損部補修と彩色を行う仏像の修復作業。1体1体童子様がきれいになって戻られる中、お寺の本尊・不動明王様が未修復というのも気にかかり、一緒に修復を依頼したんです」
「すると仏師さんから連絡があり、本尊様の内部から『綱吉公 御母儀桂昌院寄進』という墨書が見つかったと聞きました。今までお寺の仏像の作者や由来は不明でしたが、今回初めて『大聖護国寺』にある全ての仏像が桂昌院(徳川3代将軍家光の側室/徳川5代将軍綱吉の母)様によるものだと判明しました」
「そこから『お寺や仏像に興味を持ってほしい、桂昌院様のことを知ってほしい』とお庭づくりやイベント活動を計画するようになったんです。現在童子様の修復は12体目、全て完了すれば41体の仏像がお寺に戻られます。全国的にも珍しいお寺の光景、ぜひその歴史的・文化的・空間的価値に興味を持っていただき、多くの人に足を運んでいただければ嬉しいです」
「ゆくゆくは立体曼荼羅をご覧いただけるお寺になりますね」とご住職
想像するだけで圧巻の光景ですね…!!(わくわく)
伝えたい想い
桂昌庭のメッセージ
飯塚さんが多くの人に知ってほしいと願う、仏像の寄進者・桂昌院。彼女の名を冠する枯山水庭園『桂昌庭』は桂昌院の一生がモチーフとなっており、美しい景色の中に時代の移り変わりを感じることができる。
「『大聖護国寺』のお庭『桂昌庭』は左から右へ、桂昌院様の一生を俯瞰するような形でストーリーが描かれています。一番左の島が幼少期の桂昌院様(お玉さん)を表し、中央には徳川3代将軍・家光公と共に側室を務めた桂昌院様(お玉の方)と息子綱吉公(徳松)、そして最後は徳川5代将軍となった綱吉公と大奥の桂昌院様を表現しました。お庭を通じて桂昌院様の人生をご理解いただき、興味を持って頂ければ嬉しいです」
徳川5代将軍綱吉の母であり大奥の「お玉の方」と呼ばれた桂昌院。かの有名な「生類憐みの令」を綱吉公へ進言した人物としても知られ、ドラマや時代劇では「大奥のトップ」や「悪役・ヒール」として描かれることが多い女性だ。
飯塚さんは「世間一般に知られているのとは“違った一面”をお伝えしたい」と話す。住職自らがデザインしたお庭を通じて、どのような“桂昌院像”を表現したのだろうか。
「良くないイメージを持たれている桂昌院様ですが、様々な寺社仏閣へ多大な寄進を行った人物ということはあまり知られておりません。自らが大奥として力を持った時、お寺を建て仏像を贈った……そこには、彼女の幼い頃から仏教に感じていた親しみや感謝の想いが感じられます」
「近年は『生類憐みの令』が捨て子や生き物全般を保護する仕組みづくりに繋がったと再評価を受けているそうですが、今まで語られていなかった桂昌院様の側面を知ってほしいと思います。彼女がお世話になったお寺や仏教に“恩返し”を行ったように、お寺からの恩返ができればと考えています」
華々しく激動の人生を生きた桂昌院の一生――飯塚さんの解説を聞いてから庭を見れば、静謐な枯山水の中に多くのドラマが映って見えるだろう。庭園中央には、変化する時代と時代を繋ぐ石橋が架けられている。この風景もまた歴史を伝える架け橋として、未来へメッセージを伝えていく。
美しいだけじゃない、枯山水の深い魅力
素敵な風景の裏側には、やっぱり「物語」があるんです
地域のサードプレイスに
最後にお話を伺ったのは「地域とお寺」について。新たな暮らし方の中でお寺はどのような存在になっていくのか、住職の考えをお聞きしてみた。お寺での過ごし方、地域コミュニティとの繋がり方……宗教施設や観光スポットといった枠組みに捉われない、『大聖護国寺』らしい考えをお伝えしよう。
「仏教が生まれて2500年、日本に伝わって1500年。時代によって様々な評価を受けてきた仏教・お寺ですが、今まで廃れずに続いてきました。そこにはきっと、何か意味や理由があるのではないでしょうか? 私は仏教の意味やお寺の存在理由を、(地域の)皆さんと一緒に考えていきたいなと思っています」
「例えば悩みごとがある時、お寺を活用してみてはいかがでしょうか。枯山水庭園や茶室などの癒しの空間で心をリフレッシュさせたり、本堂で静かに自問自答する時間を過ごしてみたり。“瞑想”で心地よい時間を過ごすことや“写経”の文字を書くことに集中する時間はストレス解消に繋がりますよ。仏教の実践行も難しいものだと気負わずに、“悩みを解決する手助けの一つ”として気軽に触れてもらえればと思います」
「散歩で立ち寄る、本堂でぼーっと過ごす、子供たちが遊び場にする……どんな方も心が癒される時間を過ごせるような『地域の心の拠り所』になりたいですね。また繋がりが希薄な時代だからこそ、お寺のお祭りや催しを通じて地域づくりにも関わっていきたいと思います。誰かの日常に自然とあるような、心の片隅に存在感を感じられるお寺を目指していきます」
仏像の発見をきっかけに、大きく風景を変えてきた『大聖護国寺』。飯塚さんはその変化について、「学校帰りの子供たちが、おしゃべりしながら通っていくこと」が一番嬉しいと語ってくれた。子供たちが大人になった時、お寺はどんな「地元の思い出」になっているだろうか。お寺の挑戦が、地域に新たな「暮らしの風景」をつくっていく。
高崎の風景は、それぞれの「物語」を持っているから美しい。
私達も一日一日の暮らしを大切に過ごすことで、この街の景色を彩っていこう。
大聖護国寺
〒370-0884
群馬県高崎市八幡町675-1
電話:090-2425-7710
※拝観は、金 土 日 月 祝祭日の10時〜16時にて承ります。
※平日に拝観をご希望されます方はメールかお電話にてお申し込みください。
この記事に関連するメンバー
西 涼子
どうも、こんにちは!
群馬県でフリーのライターをしている西(編集長)です!
地域を盛り上げる力は市民から!ということで、
イチ高崎市民の目線から、高崎市の魅力を発信しています。
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