つたえる

高崎への愛を叫べ コミュニティづくりの達人が教える”地元愛”

関東と信越つなぐ高崎市。『新幹線で東京から50分』と言われるアクセスの良さと豊かな自然がこの街の特徴だ。今回紹介するのは、東京でシェアハウスの運営会社を起業後、高崎へ戻り市議会議員を務める清水明夫さん。彼が問いかける、私たちの街を表す言葉とは何か?高崎をもっと好きになれる話を聞いてみた。

2018.08.27

高崎という地域

高崎と東京

『関東と信越つなぐ』……と言えば、高崎市。
明治16年にSLがこの街へ訪れてからというもの、様々な交通網の発展は高崎市を栄えさせてきた。北関東最大のターミナル駅・高崎駅は大きな高崎だるまが出迎えてくれるわが街の顔。音楽と地元の名産品で溢れる駅を出れば、活気盛んな高崎の街はすぐそこだ。都心へのアクセスは良好で住みやすく、『新幹線で東京から50分』――この街は、そんな言葉で知られている。

高崎の魅力

しかしながら、本当に高崎市の“良さ”は市民に伝わっているのだろうか?
今回そんな問いかけをしてくれるのは、東京でシェアハウスの運営会社を起業後、高崎へ戻り市議会議員を務める清水明夫(しみずあきお)さんだ。シェアハウスという「コミュニティづくり」の中で見つけた答えと東京から見えた群馬の良さ。2つを武器に高崎の街づくりを考える清水さんの活動にも注目したい。

私たちの街を表す言葉は、どこにあるのか。ふるさと高崎はどんな姿なのか。

この街をもっと好きになれる、彼の話を聞いてみよう。

今回のキーワードは「コミュニティ」!ちょっこと舌を噛みそうですね。「仲間」や「つながり」に置き換えつつ読んでみてください(難しいことは言わない編集長)。

コミュニティをつくる

つながりのカタチ

清水さんのインタビューを行ったのは、高崎市山名町の喫茶店『yama na michi(ヤマナミチ)』。古民家を改装したカフェの2階からは、「街おこしの象徴的な風景」を見ることができると教えてくれた。青々とした森と上信電鉄、親子で賑わう山名八幡宮。カフェで珈琲を飲む高校生がいれば、隣の漬物屋に買い物へ来るおばあちゃんがいて、境内のパン屋さんでは親子が手を繋いでパンを選んでいる。様々な世代が交差する日常には、確かな地域コミュニティの姿が見て取れた。

高崎市で市議会議員を務める清水さんは自称“コミュニティ屋”。学生時代からのモットーは「コミュニティをつくり仲間を応援すること」だという。現在は公私共に、事務所を置く山名町でのイベント企画や高崎市全体の「つながりづくり」に力を入れ、活動している。

清水さんがコミュニティづくりを始めたのは、大学生の頃。23歳でシェアハウスの運営会社を起業した時だった。

「大学時代、カウンセリングやコーチングの活動をしていました。1対1で相談を受ける活動ですね。悩みを聞くと、その場ではすっきりして帰っていくんですが……自分の環境に帰ってから、また同じ悩みをつくって相談に戻ってくるケースが多かったんです。『自分らしくあれる場所が少ないんだなぁ』と思いました。」

「そこで“環境”づくりを目的に、シェアハウスを立ち上げることにしました。なぜシェアハウスをつくったかというと……僕の中で居場所やコミュニティをつくるには、“家族”という形がしっくりきたからなんです。」

のちに全国へ“シェアハウス”を広める活動となるコミュニティづくりの第一歩。そこには住む人のことを考えた“家”づくりがあった。

「資金があったら家を出すのではなく、心の余裕がある人がいたら家を増やしていました。家の中で中心となる――お父さんやお母さんのような『コミュニティリーダー』がいると、いいコミュニティができることに気が付いたんです。」

手元にあったコップを見て、清水さんはこう続ける。

「シェアハウスで一緒に居てくれて、自分のことを思ってくれる誰かがいると、次第にその人の中のコップが満たされていくような感覚を覚えました。コップが一杯になったその人は、自然と他の誰かに与えたくなる状態になって。シェアハウス内の家族関係が良いと、不思議と親との関係まで良くなっていくケースもありました。」

古い本の一節を思い出す。とある少年の冒険譚だ。
長旅の果てにたどり着いた泉で、乾いた喉を潤す主人公。心ゆくまで泉を楽しんだ後、けんか別れしたはずの父親へ「この水を、分け合いたい」と思う自分に気づく。
その物語の中では、『愛』と表現されたコップの中身。清水さんが見つけたコミュニティの大事なものも、同じくらい温かいものに違いない。

その後も『コミュニティリーダー』を支える別会社の起業をして…と清水さん。誰かを支える人を支え、応援する人を応援する。そんなサポーターとしての仕事が向いていると思ったそうです。この気づきが、彼の道を決めるんですね……!

自分の場所は

上京し、シェアハウスというコミュニティづくりに熱中した清水さん。家が増え、コミュニティも増え。文字通り「同じ釜の飯を食う」仲間のつながりや、シェアハウス同士の「親戚づきあい」が育っていくのは嬉しいことだった。

しかしながら、シェアハウスというつながりが、清水さんに“もう一つのつながり”を思い出させることとなる。それは、地元・群馬県への想いである。

「東京にいると、群馬県民って群馬県が大好きだということに気付くんですよ。たぶん、『上毛かるた』で洗脳されているんじゃないかな。『浅間のいたずら…?』みたいな。東京は地方出身者の集まりでしたが、その中でも群馬は特殊。僕も、住むなら地元に戻りたいと思っていたんです。」

ついつい、下の句を呟いてしまった人も多いのではないか。戦後、歴史教育に対して規制がかかっていた時代に、郷土愛が生み出したとされる『上毛かるた』。清水さんの心に刻まれていた地元への愛情が、Uターンを決意させた。

「いつか地元に戻りたいという気持ちはずっとありました。そこで、戻ってくる時に“コミュニティ屋”の自分に何ができるのかを考えましたね。シェアハウスを大きくしたものが地域・街づくりに繋がっていくのではないか、それが市議会議員を目指した理由です。」

今、全国様々な地域で「街づくり」や「地域のつながり」が求められている。それは、高崎市も例外ではないだろう。東京で始めたシェアハウスはコミュニティの作り方、そして『コミュニティリーダー』を支える自分の役割を教えてくれるものだった。コミュニティをつくる市民を、支えたい。清水さんのやるべきことは決まった。

 

窓の向こうに見える、山名八幡宮。境内に事務所を構えて最初の選挙を戦った。議員生活のスタート地点である。仕事は変わっても、目指すものは変わらない。シェアハウスで築いた心地よいつながりはこの街でも育まれていく。

たかさきコミュニティ

田舎という言葉に

そんな清水さんが、地元に対して伝えたい想いがあるという。それは、Uターン経験者だからこそ見える群馬県、そして高崎市の姿。『新幹線で東京から50分』、高崎の魅力の裏に滲む違和感の正体についてだ。

「僕が東京から戻ってきた時に、群馬には“田舎”へのコンプレックスがあることを感じました。」

「あるアンケートでは、東京に住んでいる4割の人が地方移住に興味を持っているそうです。東京では、田舎というキーワードはすごくポジティブで、農業をやっている人はお洒落だし、ライフスタイルとして憧れられているんですよね。ローカルであることの価値は、東京都民の方が知っている。」

ともすれば。地方に住む人ほど、その良さに気付けていないのではないか。“田舎”という言葉がネガティブに響く地元に、どこか寂しい想いを感じた。

「東京で、地方に興味を持つ人は4割……多くの人が地元ではなく、地方に興味を持っている。自分の帰りたい『ふるさと』がない人が、いっぱいいるっていうことなんです。僕には、帰りたいと思えるふるさとが一つだけあったので、群馬県に帰ってきました。高崎は、そうした(ふるさとの)器があると思っています。」

地方移住、街おこし…近年流行りの言葉は、多くの地方を盛り上げ――そして均一化させた。実のところ、便利な駅前も都心へのアクセスの良さも溢れる緑も、金太郎飴のごとく他地域と変わらない魅力。使い古された言葉たちなのである。

だからこそ、私たちは今のものさしを捨てて、見つめなければいけないものがあるのではないだろうか。数ある地方の中でも、唯一無二のもの。地元愛溢れる、群馬県民ならではの「ふるさと」の姿。

「私の地元はね……」と始まる言葉に、誇りをもって欲しい。移住促進や街づくりの活動をする中で、清水さんはそう思うようになった。

愛を叫ぶ

地域に誇りを持つ、そうは言えども私たちにできることは何だろうか?

街の開発や県外へのPR、移住促進のプログラム…あの手この手で全国の地域がしのぎを削っている。『高崎移住計画』の中心メンバーとして活動していた清水さんは、そうした「移住促進PR」の限界を感じていた。群馬県には、もっといいやり方がある――地元愛の強い、私たちにぴったりのやり方を探すようになった。

「移住計画の活動をしていた時に、『こんなに良いんです』アピールは限界がある事に気が付きました。高崎を『こんなに便利なんだ、分かってよ!』と強要しても、相手は嬉しくない。それに、どこの地域も似たようなアピールになってしまいます。」

「だからこそ、『俺は、地元が好きだ!』って言うだけでいいんだと思います。他の人が食いついてくれなくても『俺の地元、サイコーだぜ』って。今はSNSとかがありますから、そうした想いが勝手に広がっていくじゃないですか。それをオープンに見られる、広がっていくだけでいい気がしますね。」

今回取材で使わせていただいたカフェ『yama na michi(ヤマナミチ)』。自慢のバインミーを例に清水さんの説明は続く。

「『このバインミーは日本で一番うまい!』と僕が言ったところで、もしかしたら僕が知らないもっと美味しいバインミーがあるかもしれません。でも、『このバインミーが世界一好きだ!』って言葉は誰にも否定されない。『好き』って言葉は、ナンバーワンじゃなくてオンリーワンな位置へ行けますから。」

清水さんの言葉は、力強く響く。SNS時代、自分が好きなものを投稿して共感を貰う。そんな経験はあなたにもあるのではないか。『インフルエンサー』という言葉もあるほどに、誰かの『好き』な気持ちが人を動かすことがある。高崎を変えるのは、市民一人一人の『高崎愛』だと清水さんは言う。事実、安室奈美恵さんによる沖縄県のPRは、地元愛から始まって大きな影響を与えているのだから。

「地元が、好きだ。」この想いが伝播して、地元に新しい価値をつくる。コミュニティ屋の男が市議会議員になったのは、先頭に立って「地元が、好きだ」と叫ぶためだったのかもしれない。

高崎という地元

これからの高崎

最後に、清水さんのこれからの活動について話を聞いてみた。地元愛を広める活動は、どんなものを進めているのだろうか。

「月1で山名八幡宮の境内で『なんぱち縁起市』を主催したり、シャッター商店街でマルシェを開いたり。11月には“一揆”を起こすんですよ。田舎感を前面に出していけるような。」

一揆、とは11月23日に行われる野外音楽フェスティバル『グンマー★一揆 』のこと。ネット上で「群馬は田舎である」ことをネタにした呼び名「グンマー」をあえて使い、地元色を強く出したイベントになっている。コンプレックスではなく、愛情をもって地域の色を見てもらいたい。そんな清水さんの想いを込めた。

「この田舎感あるイベントを求めて、東京から多くの人が来るんですよ!そこで『群馬が好き!田舎って良いでしょ!』って自慢したい。大好きな地元を(県外、そして県内の人に)知ってもらうためにも、力を入れて準備しています。」

 

清水さんは、高崎の魅力をこうも語る。「東京から一番近いふるさと」だと。

群馬が地元の人も、群馬が地元でない人も関係ない。この街を好きな人で溢れる高崎……どんな名所にもグルメにも負けない、素敵な魅力ではないだろうか。私たちがこの街を好きになればなるほど、ふるさとは強くなっていく。

「素敵さって測れないじゃないですか、客観的に。それでも自信を持って言えるのは、どの人よりどこの地域より『俺は俺の地元が好きだよ!』ということです。高崎には色んな優れている点があって、劣っている部分もあると思います。それでも『好き』って、すごく真実だなという感じがしますね。皆がそう思ってくれたら嬉しいです。」

『高崎で暮らす』は高崎に関わる様々な人の『高崎愛』を紹介するメディアだ。帰りたくなる街、群馬。大好きな街、高崎。一人一人のストーリーから、あなただけの地元愛を探して欲しい。この和を広げていくことに、高崎の未来があるから。

 

せっかくなので、今回は『グンマー★一揆 』の紹介で〆たいと思います。

愛をこめて、一揆。皆様もぜひどうぞ。

グンマー★一揆 MUSIC FESTIVAL 2018

日時 :2018年11月23日(金・祝日) OPEN 9:00/START 10:30/CLOSE 20:00
会場:グンマー県立観音山ファミリーパーク(群馬県高崎市)

※雨天決行(荒天の場合は中止)
※お問い合わせはHP内、お問い合わせフォームより受付中

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この記事に関連するメンバー

西 涼子

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群馬県でフリーのライターをしている西(編集長)です!
地域を盛り上げる力は市民から!ということで、
イチ高崎市民の目線から、高崎市の魅力を発信しています。

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