真に誰もが住みよい街へ 地域の弁護士が語る社会とは
暮らし良い街高崎市。ローカルな価値観、自然あふれる日常を求めた地方移住者にとって高崎は魅力的な街だろう。程よく都会で、程よく田舎――変化ある街並みがこの街のカラーだ。「真に誰もが住みよい街か」と疑問を投げかけるのは、弁護士・板橋俊幸さん。地域の弁護士が考える「つながりある街」への想いを聞いてみよう。
2018.10.19
高崎市と暮らしやすさ
暮らしと高崎市
暮らし良い街、高崎市。
ローカルな価値観、自然あふれる日常を求めた地方移住は、現代の新しい動きである。高崎市も都内から移住する人の有力な候補先。程よく都会で、程よく田舎――移住を決めた人はそんなフレーズでこの街への愛情を表現してくれる。
多様な人口の中で、様々に移り変わる街の顔。多くの人と人との間で新たに生まれる“街の風景”が、これからの高崎市のカラーを決めていくだろう。
『弁護士法人 龍馬』
そんな高崎市へ「真に誰もが住みよい街か」と疑問を投げかけるのは、高崎市金古町の『弁護士法人 龍馬』に所属する弁護士・板橋俊幸(いたばし としゆき)さんだ。広く地域の紛争を解決することを生業とする彼が、特に専門とする領域は福祉・介護・障がいなどのハンディのある方々に対するお手伝い。弁護士として、一個人として活動を続ける中で、日常の中では見えてこない高崎の姿があると語ってくれた。
暮らしやすい社会の実現――地域の弁護士が考える「つながりある街」にかける想いを聞いてみよう。
大好きな街も、完璧ってわけじゃない。そんな話をさせていただきます編集長です。
「そんなもんさぁ」で終わらずに「じゃあどうすっぺ」となってくださいますよう。ナニトゾ。
知るということ
野球少年
昭和52年生まれの板橋さん、大きな体と優しそうな雰囲気が特徴的な弁護士さんだ。出身はお隣、埼玉県。「なんもないところです、学校の周りは全部田んぼで……」と紹介してくれる故郷は、どこか群馬県に近い景色のよう。どんな子供時代を過ごしたのだろうか、聞いてみた。
「あまりにも太っていたので……小学校三年生の時、両親が地元の少年野球に入れてくれました。たしかサッカーもあったんですけど、走れないだろう、みたいな。ははは。」
「それから野球にハマったんでしょうね。走ればペケ(最下位)かペケツーだったのが、5年生にして運動ができるようになり、6年生で初めて逆上がりができるようになったことを覚えています。」
そこから32年間やり続けていますね、と少年時代の思い出を語る板橋さん。ポジションはキャッチャーで、キャプテンをすることも多かった彼を支えたのは両親だった。
「父親は教員で家は学習塾。兄も教員、妹は看護教諭として働いています。うちは全く裕福じゃなかったので、学校は公立国立入れって言われていたんですけど……僕だけ教育も勉強もダメでしたね。私立でごめんなさいって言いました。」
「(父を見て)教員にはなるまいと思っていたんですけど、何になりたいというのはあまりない学生でした。大学は文学、法学、社会学、……それから一応、教育学部も受けたんですが落ちまして。」
明るい笑顔から想像されるのは、グラウンドを愛する少年の面影。“部活が大好きで勉強は苦手、将来の夢は決まっていない”――そんなどこにでもいるような少年を変えたのは、何気なく入った大学での出会いだったという。板橋さんに声をかけたのは『ひまわり子供会』というボランティアサークルだった。
「『明日、バーベキューやるからこない?』……綺麗なお姉さんに誘われて。そこから四年間、どっぷりボランティア活動に浸かることになります。」
少年少女との出会い
大学があった街は東京都目黒区。板橋さんの所属する『ひまわり子供会』は目黒区内の小学校にある“特別支援学級”の子供たちとの活動を主にしていた。
特別支援学級とは視覚や聴覚の障がい、あるいは知的障害や身体的な障がいをもつ子供たちのためにあるクラスの一名称。近年では多くの学校に設置が進み、教育上のサポートを行うことを目的としている。板橋さんが関わってきたのはダウン症で知的障がいをもつ子供や発達障がいのある児童たち。専門的な知識や経験はなかったが、“大学生のお兄さん”と“小学校の子供”として交流しはじめた。
「僕が入る20数年ほど前に先輩が立ち上げたサークルでした。週末に公園で遊んだり、クリスマス会をしたり。年に数回は遠足やキャンプもしましたね。」
「大学に入るまでは“体育会系”だった自分にとって、まったく新しい世界でした。“バリバリ”の人が多い野球部とは違って、優しい感じの人が多いなと。『面白そうだな』というのが始めたきっかけですね。」
ボランティアサークルでは幹事長を務めるほどにのめり込んだ福祉活動の世界。自分にはない、知らない魅力を持つ子供たちとのコミュニケーションは、「不思議な感覚だった」と語る。
「ぜんぜん喋らない子もいましたが、皆さんすごく感受性が豊かで。一つのことにもの凄い集中力を発揮する子も多かったですね。なんでしょう、僕の知らない、自分にはないものを持っている感覚。彼らにそんな魅力があったから、活動を続けてこられました。」
「担当児童の一人は母子家庭のお子さんで。遊ぶだけでなく、学童への送り迎えを頼まれることもありました。僕、大学時代は“ボウズでヒゲモジャ”だったんですよ。目黒区の大都会、子供を学童まで連れていく道は大通りを二本くらい渡らなくてはいけないんですが……通る人が怪しい顔で見るんですよね、誘拐かって。わはは。」
「時々子供が癇癪をおこして泣き出して。『泣き止んで』っていっても泣き止まないし、理由もわからないですからね。僕じゃなくて女学生が抱っこすると泣き止んだりして……」
たかだか数百メートルの道のりなんですけどもね――一体、どれほどその道が長く感じられたのだろうか。それでも、ボランティアの学生が1時間でも、2時間でも共に遊ぶことで、親は貴重な自分の時間を得ることができる。そして何より、世代の違う学生と子供の交流は、お互いに良い刺激となっていく。
「野球が大好きなダウン症の女の子もいましたね。いつもジャイアンツの帽子を被って、プラスチックのバットとボールを持ってくるんですよ。『松井秀喜だ!』って言ってバットを振って、僕がボールを投げて。体力ある学生だからこそ、親子の力になれることがあると感じました。」
ちなみに、社名の由来は「坂本龍馬」から。彼の“交渉術”は弁護士の先駆け、時代をつくるものだと所長が決めたそうです。
(ちょうどその時、大河ドラマで『龍馬伝』がやっていたというのは……関係ない、はず。)
弁護士という選択肢
環境、そして自分の変化
サークル活動を続ける中に、板橋さんの将来の道を照らす出会いは多くあったと言う。共に遊ぶ子供たちはもちろん、サークルの仲間や子供たちの親御さんとの交流。思ってもみなかった分野に、まだまだ触れることとなる。
「親御さんの中には弁護士や裁判官の方もいて。自分には縁がない仕事だと思っていたので、話をしてみると面白かったですね。弁護士を志すきっかけの一つだったのかなと思います。あとは、サークルの中に司法試験を受ける先輩や同級生がいたり……」
「就職氷河期の時代、何もないまま大学を卒業してしまいました。なので、弁護士を目指し始めたのは予備校に通い始めてから。そんな感じなんですよ、色んなきっかけとご縁で。」
ご縁。それは、たまたま入った大学の、偶然声をかけられたサークル活動での経験もそうだろう。
しかしながら、もう一つ。語るに外せない“要素”がある。大学があった町・東京都目黒区の存在だ。
『住みたいまち、住み続けたいまち目黒』のキャッチコピーで紹介されるこの地域は、先の北関東住みたい街ランキングで世田谷区と港区に続き3位を獲得。区域を『住区』に分割した細やかな街づくりは、住む人に愛される地域づくりを実現した。板橋さん曰く「都内の中では、先進的に福祉を進めていた街」とのこと。大学時代の4年間関わった街の特色が、知らず知らずのうちに彼の意識を変えていったのだ。
「都内の中で福祉が先進的な区だということも、多くの制度があることも、僕は詳しくなかったです。ただ『他の市町村や区から目黒区に障がいのある子供たちが引っ越して来るんだよ』というのを親御さんから聞きました。」
「というのも、福祉の充実だけでなく……街中で障がいをもった子が、普通に親御さんと手を繋いで歩ける街なんですね。好奇の目で見られないんです、周りにもたくさんいるから。『他の地域に住んでいた時には、そんな目で見られるのが嫌で外出も嫌いでした。』という話を聞いて、地域差の大きさに驚きましたね。」
ボランティアサークルの存在、それは目黒区という街において“出来るべくして出来た”街との関わり方だったのかもしれない。
地元とは違う、その街の特色。当たり前でない豊かさに気が付いた瞬間だった。
群馬県、高崎市の課題
その後、司法試験に合格し修習生となった板橋さん。一年間の研修先に選んだのは群馬県前橋市の裁判所だった。都内が実家の奥さんと、出身地・埼玉県から通いやすい立地が決め手だったという。弁護士となった後は『弁護士法人 龍馬』のある高崎市へ移住し、9年。「程よく田舎で、程よく都会」――都内から付かず離れず、第二の故郷としての器を持つこの街は、地元愛を持たない板橋さんにとっても居心地が良いというから嬉しい限りである。
そんな新しい暮らしの土地で、板橋さんが考えることは何か。第一に感じたのは、自身の意識を変えた地域・目黒区との“風景の違い”だった。高崎の日常――街を歩き、買い物をし、遊びに行くような当たり前の風景――には、ハンディを持った人が少なく映った。
「今考えれば、僕がボランティアサークルに入る前……小学校や中学校でも(障がいを持った子供は)いたのかなと思いますけど、気にすることもなかったですからね。特別支援学級もなかったですし、彼らの姿は見えませんでした。」
「どうですか、高崎市の街中で見かけますか?彼らを。僕は高崎に来て、仕事や暮らしの中であまり見かけないなと感じています。もちろん、サークルの経験があったので養護学校や施設は僕の目に入りますけど、スーパーマーケットでそういう子たちに会うかと言われるとそんなにないです。目黒区が都会だ、というのもあるでしょうが……」
私たちの目には映らない部分で、私たちの知らない“暮らしにくさ”があるのではないか。板橋さんの問いかけはそんな警鐘を鳴らすようだった。私たちの想像する日常と隔離された日常があるのかもしれない。
板橋さんが金古町で気になるところは「群馬県群馬郡群馬町」だったところ。
『こんなに群馬が付くのに、県庁所在地じゃないんだ……。』なるほど、たしかにそうかもしれません。
未来の弁護士
心に咲く花
「弁護士というのは司法試験を受けた後、“別に何の仕事をしてもいい”という自由な職業なわけですよ。」
最後に、未来の弁護士として道を模索する板橋さんの今後の仕事について伺ってみる。私たちの街に足りないもの、高崎の暮らしにある課題。普段は光の当たらない地域の側面を照らしてみよう。
「弁護士は、実務の中で自分のやりたいことや好きな分野を決めていきます。僕は障がい分野の専門家というわけではないですが、そういった方々との関わりは多い弁護士なのかな。所長が高齢者問題に力を入れていることもあって、自分の方から興味をもって福祉・介護の方と接触する機会を作っています。」
「具体的には『成年後見制度』という……わかりますかね。高齢者や知的障がい者などの『判断能力が十分でない方』への支援を進めているんですね。」
少し固い内容だが、わかりやすく言うならば。
日本弁護士連合会は弁護士の使命を「基本的人権の擁護と社会正義の実現」と定めている。社会の授業で聞いた響きを懐かしく思う人も多いだろう。ここから読み取れるのは“言葉を武器に紛争を解決すること”だけが仕事ではないということ。例えば、板橋さんの使命。それは地域と繋がることや、トラブルを避けること、個人に合った支援を提案すること。それらが、障がい者に関わらず“すべての人が生きやすい世の中をつくること”に繋がっていく。
「弁護士それぞれだと思いますよね。僕はそんなに大それたことは考えていなくて『法律を勉強したから、困っている人の悩みを法律で解きほぐそう』とか、『将来的に困らないためにこうしたほうがいいよ』っていうのを仕事と考えています。」
「今までの弁護士はトラブルが起きてそれを解決する“マイナスからゼロへ”近づけることが仕事だったと思うんですけれど、例えば遺言作成や契約書作成……“未来のマイナス”を減らす予防策としての法律の使い方があると思います。もちろん、紛争がなくなっちゃうと僕らの仕事は激減しちゃうと思うんですけど、ははは。紛争だらけの世の中なんてね、いいもんじゃないですから。」
弁護士と聞いて想像するような華やかな法廷劇や留置所でのドラマではなく、地味な仕事。しかしその種まきともいえる活動こそが、これからの世の中を良くしていく重要な仕事になってくる。
「5年後にどんな仕事内容になっているか、わかりませんね。今と違う分野かもしれないし、“何を仕事にしてもいい職業”なので。」
それでも……と続く言葉に映るのは、大学時代に出会った“彼ら”の笑顔。弁護士となった板橋さんの今を作るのは、やはりボランティアサークルでの交流の記憶だ。
「僕はあんまり『普通・健常・障がい』って言葉は好きじゃないんです。多数の人たちがメインで、それ以外がマイノリティになっちゃうってだけの話ですよね。彼らとのふれあいの中で、別に特別じゃないというのを強く感じました。その子が生きやすい環境をどうやってつくるか――それだけなんですよ。」
近い考え方に「ユニバーサルデザイン」が挙げられるだろう。文化や性差、能力の違いを問わず使いやすいデザインを考える……今の暮らしに求められているのは、そうした環境づくりだろう。「“障がい”という枠は変化する」と板橋さん。技術の進歩に支えられて“差”を気にしなくていい社会が近づいている。
地域の中で
ここまでの板橋さんの話を聞いて「野球少年が弁護士になった」というのは意外なことではないのかもしれないと考えた。「面白いことに、一人だけ逆を向いて全員を見られるポジションなんですよ。」とキャッチャーの魅力を話す板橋さん。仕事観を聞いてみた。
「野球は9人でやるスポーツなので、実は“すごいピッチャー”とかいると勝てるわけですね。他人の力で。それはそれで面白いスポーツで、キャッチャーの僕が出すサインで打ち取れるとより楽しいんです。」
「弁護士の仕事も『つながり』で成り立っています。僕らも専門職ですけど、依頼者の人生の“ほんの一部”でお役に立てるだけ。地域の中で、自分にできる部分。他は別の専門家にお願いしたりしていますから。」
ゲームメイクでチームに貢献するように、法律というルールの中で“道しるべ”をつくる弁護士の仕事。専門家として俯瞰的・客観的な立場から依頼者を取り巻く環境を見つめ、まさに“一人だけ逆を向いて”いるようなポジションから依頼者を、地域を良くしていく。
「自分事にしちゃうと見えない部分もありますから、第三者の視点は大切にしないといけないですよね。後は、自分が経験したこと以上のものはわからないので、色々なことに興味を持つようにしています。」
「あとは、高崎市、群馬県、北関東……全国的に見ても、高齢者や障がい者に関するアプローチが凄く遅れていると言われています。例を挙げると認知症の『成年後見制度』。全国に何百万人の患者がいて、群馬県にも相当数いるわけです。でも、制度を利用しているのは3000人。判断能力が十分でない方へ支援がないまま、家族や知り合いが勝手にやっているのが現状です。本来は『キャッシュカードでお金をおろす』のは本人しかできないんですよ。ダメなんです。」
専門家として、活動の推進やアドバイスを行っていると板橋さん。それでも、県内の需要に対し対応できる弁護士の数は100名程度。自治体と協力した仕組みづくりが欠かせない。保守的と言われる群馬県の気質。田舎ならではの“入りづらいコミュニティ”や“しがらみ”の存在。真に暮らしやすい街となるための課題は尽きないだろう。小さな単位からでもいい。“今の私たちに合わせた暮らし”を叶えるために、一人ずつ変わっていこう。
つながりある街、高崎市。
その輪の中に様々な種類の“笑顔の花”が咲くよう、地域を耕す手を止めてはならない。
弁護士法人 龍馬(ぐんま事務所)
住所:群馬県高崎市金古町1221
電話:027-372-9119
営業時間:平日:9:00~18:00
土曜日:9:00~15:00(日曜・祝日定休)
この記事に関連するメンバー
西 涼子
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群馬県でフリーのライターをしている西(編集長)です!
地域を盛り上げる力は市民から!ということで、
イチ高崎市民の目線から、高崎市の魅力を発信しています。
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